は櫛まきお藤が源十郎へのはらいせ[#「はらいせ」に傍点]につれ出したのだが、源十郎はそうとは知らずにその尻《しり》をそっくりおさよ婆さんへ持ってきて、今までお艶を幽閉《ゆうへい》しておいた納戸へこんどはおさよを押しこめ、第一におさよお艶のかかわりあいから聞き出そうと毎日のように折檻《せっかん》した。
その間に栄三郎泰軒の救いの手が、ついそこまで伸びて来て届かなかったのが、この、源十郎の詰問《きつもん》の結果。
はい。じつはわたくしはお艶の母、あれはわたくしの娘でございます。
とおさよの口から一言|洩《も》れると源十郎、高だかと会心の哄笑をゆすりあげて、
「いや、そのようなことであろうと思っておった。さてはやはり、いつか話に聞いた娘というのはあのお艶のこと、男の旗本の次男坊は諏訪栄三郎であったか。だが、はっきりそうわかってみれば、思う女の生みの母御《ははご》なら、この源十郎にとっても義理ある母だ。こりゃ粗略《そりゃく》には扱われぬ。知らぬこととは言い条《じょう》、いままでの非礼の段々|平《ひら》におゆるしありたい」
と、奸智《かんち》にたけた鈴川源十郎、たちまちおさよを実の母のごとく敬《うやま》って手をついて詫びぬばかり、ただちに招《しょう》じて小綺麗《こぎれい》な一|間《ま》をあたえ、今ではおさよ、何不自由なく、かえって源十郎につかえられているありさま。
将《しょう》を射《い》んと欲《ほっ》せばまず馬を射よ。あるいは曰《いわ》く、敵は本能寺《ほんのうじ》にありというわけで、源十郎はこのおふくろをちょろまかし[#「ちょろまかし」に傍点]て、それからおいおいお艶を手に入れようと、今日もこうしておさよに暖かそうな、小袖か何か着せて、さも神妙に日の当たる座敷によもやまのはなし相手をつとめていると――。
「ごめんくださいまし……」
と裏口に案内を求める町人らしい声。
「こんちは……ごめんくださいまし。おさよさんはいませんかね?」
と喜左衛門が大声をあげても、誰も出てくるようすはないから、こんどは鍛冶屋富五郎が引き取っていっそうがなりたてている。
「おさよさアン! おさよ婆あさん! ちッ! いねえのかしら……? じれってえなあ」
と、この声々が奥へつつぬけてくるから、おさよも源十郎のお相手とはいえ、じっとしてはいられない。すぐに裏口へ立って行こうとするのを鈴川源十郎、実の母にでも対するように慇懃《いんぎん》にとめて、
「まま、そのままに、そのままに。なに、出入りの商人であろう。拙者が出る」
と懐手《ふところで》、のっそりと台所に来てみると、水口の腰高障子《こしだか》から二つの顔がのぞいている。
あさくさ田原町三丁目の家主喜左衛門と三間町の鍛冶富――おさよの請人《うけにん》がふたりそろってまかり出て来たので源十郎、さては悪い噂でも聞きこんだな、内心もうおもしろくない。
「なんだ? おさよ殿に何か用かな?」
押っかぶせるように仁王立ちのまんまだ。
おさよどの! と殿様の口から! 聞いて胆《きも》をつぶした喜左衛門に鍛冶富、すくなからず気味がわるい。
挨拶もそこそこに、源十郎の顔いろをうかがいながら、お屋敷のごつごうさえよろしければ、ちと手前どものほうにわけがあって、一時おさよ婆あさんを引き取りたいと思うから、きょうにでもおさげ願いたく、こうして引請人《ひきうけにん》が頭を並べてお伺いした……と!
源十郎、眉をつりあげて威猛高《いたけだか》だ。
「なにィ! ちと理由《わけ》があっておさよどのをもらいさげに参った? これこれ、喜左衛門に富五郎と申したな」
「へえへえ、鍛冶屋富五郎、かじ[#「かじ」に傍点]富てんで」
「なんでもよい。両人とも前へ出ろ。申し聞かせるすじがある」
言い捨てて源十郎、スタスタ奥へはいっていったから、はて! 何事が始まるのだろう? と二人ともおっかなびっくりでしりごみしているところへ、ただちにとってかえした源十郎を見ると、刀をとりに行ったものであろう左手に長い刀を下緒《さげお》といっしょに引っつかんで、その面相|羅刹《らせつ》のごとく、どうも事態《じたい》がおだやかでない。
何がなんだかいっこうに合点《がてん》がいかないものの喜左衛門と鍛冶富は今にも逃げ出しそうだ。
そこへ源十郎の怒声。
「こらッ、もちっと前へ出ろ! 出ろッ! ウヌ! 出ろと申すにッ!」
と与力の鈴源だけあって、声にもっともらしい渋味《しぶみ》がこもり、おどしが板についていて、町人づらをふるえあがらすには充分である。
「はい。出ます、出ます。こうでございますか」
ふたりがびくびくもので、一、二寸前へ刻み出たとき、源十郎は、大刀に鍔《つば》鳴りを[#「鍔《つば》鳴りを」は底本では「鎧《つば》鳴りを」]させて叱※[#「口+它」、第3水準1−14−88]《しった》した。
「何者かが当屋敷に関してよけいなことを申したのを、市井匹夫《しせいひっぷ》の浅はかさに真《ま》にうけたものであろう。どうじゃ?」
「へ?」
ときき返したが、両人ともよくわからないので、モジモジ黙っていると、源十郎は続けて、
「おさよ殿を従前どおりおれの手もとにおいたとて、貴様らに迷惑の相かかるようなことはいたさぬ。源十郎、不肖《ふしょう》なりといえども、年長者の敬すべきは存じておる。いま貴様らに見せるものがあるから庭先へまわれッ!」
ホッとして喜左衛門と富五郎、うら口を離れてひだりを見ると、中庭へ通ずる折り戸がある。それを押して、おそるおそる奥座敷の縁下、沓脱《くつぬぎ》のまえにうずくまると、
「両人! 面《おもて》をあげい! おさよ殿じゃ」
という源十郎の声に、おさよがあとをとって、
「おや。喜左衛門さんに富五郎どんかえ。ひさしく御無沙汰《ごぶさた》をしましたが、おふたりともいつもお達者で何よりですねえ、はい……」
はてな! と顔をあげてよく見ると、奉公にあがったはずのおさよ婆さんが、これはまたなんとしたことか、殿様の御母堂然と上品ぶって、ふっくら[#「ふっくら」に傍点]としたしとね[#「しとね」に傍点]の上から淑《しと》やかに見おろしている。
眼どおり許す――といわんばかり。
プッ! と吹きだしそうになるのを、喜左衛門と鍛冶富、互いにそっと肘《ひじ》で小突きあってこらえているうちに、かたわらの源十郎が威儀《いぎ》をただして、しんみり[#「しんみり」に傍点]とこんなことを言い出した。
「他人の空似《そらに》とはよく申したものでおさよ殿は、死なれた拙者の母御に生き写し……よく瓜を二つに割ったようなというが、これはまた割らんでそのまま並べたも同然――なあ、孝行のしたい時分には親はなし、さればとて石に蒲団も着せられず……こうしておさよどのを眺めていても、源十郎、おなつかしさにどうやら眼のうらがあつくなるようだ」
と源十郎、芝居めかして、しきりに眼ばたきをしている。
煙《けむ》にまかれて、喜左衛門と鍛冶富は、ぽかんとしたまま帰ってゆく。
「驚きましたね、喜左衛門どん」
「いや、おどろいたね、富さん」
「一体全体どうしたんでごわしょう? へっへ、まるで女|隠居《いんきょ》。ふたりとも壮健にて祝着至極《しゅうちゃくしごく》……なァんかんと来た時にあ、テヘヘ、あっしぁ眼がくらくらッとしたね、じっさい」
「まあさ、殿様のおっしゃることにぁ、おさよさんが死んだ母御によく似ているから、ほんとの母と思って孝行をつくしている――てんだがわしぁどうも気のせいか、ちっとべえ臭えと思う」
「くせえ? とは何がさ?」
「なにか底にからくりがあるんじゃあねえかと――いや、これあ取り越し苦労だろうが、富さんの前だが年寄りはいつも先の先まで見えるような心もちして、心配が絶えませんよ。損な役さね」
「だけど、おさよ婆さんにしたところで、ほかにちゃあんとした因縁《わけ》がなくちゃあ、死んだ殿様のお袋《ふくろ》に似てるぐれえなことで、ああいい気に奉られている道理はねえ。ここはなるほど、喜左衛門どんのいうとおり、何か曰《いわ》くがあるのかも知れねえ」
「殿様ってお方がまともじゃねえからね」
「くわせものでさあね。あの侍《さんぴん》は」
ヒソヒソささやきながら屋敷を出て、法恩寺橋の通りへかかろうとすると、片側は鈴川の塀、それに向かって一面の畑。
頃しも冬の最中だから眼にはいる青い物の影もなく、見渡すかぎりの土のうねり……ところどころの積《つ》み藁《わら》に水底のような冷えた陽がうっすらと照った。立ちぐされの案山子《かかし》に烏が群れさわいでいるけしき――蕭条《しょうじょう》として襟《えり》寒い。
はるかむこうに草葺き屋根の百姓家が一軒二軒……。
どこかで人を呼んでいる声がする。
風。
「オオ寒《さむ》!」
思わず二人いっしょに口にだして、喜左衛門と鍛冶富、小走りに足を早めようとすると! 畑のまえの路ばたに道祖神《どうそじん》の石がある。
そのかげから、突如、躍り出た二、三人の人! はッとして見ると鎖《くさり》入りの鉢巻に白木綿の手襷《てだすき》、足ごしらえも厳重な捕物の役人ではないか。
それがばらばらッととりまいて中のひとり、
「お前たちは今そこの鈴川の屋敷から出て参ったな?」
と詰《つ》めよられて、おどろきあわてつつも、口きき大家と言われるだけあって、喜左衛門はすぐに平静に返ってはっきり[#「はっきり」に傍点]と応対する。
「はい、わたくしは浅草田原町三丁目の家主喜左衛門と申す者、またこれなるは三間町の鍛冶屋富五郎といいまして、この鈴川様のお屋敷へ下女をお世話申しあげましたについて――」
「どうもあんまりお屋敷の評判がよくねえから」と鍛冶富も口を添え、「きょう貰《もら》いさげにでましたところが、その婆あさんがこう高え所にかまえて、おお両人とも壮健にて重畳《ちょうじょう》重畳……」
「これ、何を申す!」
叱りつけておいて、役人達は二こと三こと相談したのち、
「いや、ほかでもないが、ただいま、浅草橋の番所へ女手の書状を投げこんだ者があって、その文面によると、ひさしくお上《かみ》において御|探索《たんさく》中であったかの逆袈裟《ぎゃくけさ》がけ辻斬りの下手人が当屋敷に潜伏《せんぷく》いたしおるとのことであるが、お前ら屋敷内にさよう胡乱《うろん》な者をみとめはしなかったか」
いいえ!――とふたりが力をこめて首を振ると、べつに引きとめておくほどのものどもでもないとみてか、
「よし、いけ、足をとめて気の毒だったな」
と許された喜左衛門と富五郎、にげるように先を争って駈け出したが……。
こわいもの見たさに。
塀の曲り角からのぞいてみると、
同じしたくのお捕り役が二、三人ずつ、もうぐるりと手がまわったらしく、屋敷をめぐって樹のかげ、地物の凹《くぼ》みにぴったりと伏さっている――その数およそ二、三十人。
「えらいことになったな」
「だから先刻、婆あさんの手でも取ってしゃにむに引っぱり出せあよかった」
いいながらなおもうかがっていると、捕り手はパッと片手をかざしあって合図をした。と見るや、ツウと地をはうようにたちまち正門裏門をさして寄ってゆく。
が、喜左衛門、富五郎をはじめ、役人のうち誰も、さきほどから、鈴川方の塀の上に張り出ている欅《けやき》の大木の梢《こずえ》、その枝のしげみに、毒蛇のような一眼がきらめいて、その始終《しじゅう》を見おろしていたことを知らなかった。
明るい陽をうけた障子に、チチと鳥影が動くのを、源十郎はしばらくボンヤリと眺めていた。
うすら寒い静寂《しずけさ》である。
おさよのおさまりように胆をつぶし、狐《きつね》につままれたような心持で、家主喜左衛門と鍛冶富が帰っていったあとの、化物屋敷の奥の一間。
源十郎は、何か物思いに沈みながら、体《からだ》についたごみの一つ一つをつかんでいると、おさよの茶をすする音が、その瞬間の部屋を占めた。
「さて、おさよどの」と源十郎は、思いきったように、しおらしく膝を進めて、「今もかの町人
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