銀杏の下を離れようとするうしろから、突如、錆びたわらい声が源十郎の耳をついた。
「はっはっはっは、天知る地知る人知る――悪いことはできんな」
ぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]としてふり返ったが、人影はない。
雨のような陽の光とともに、扇形の葉が二ひら三ひら散っているばかり――。
銀杏が口をきいたとしか思われぬ。
気の迷い!
と自ら叱って、源十郎が再びゆきかけようとしたとき、またしても近くでクックックッという忍び笑いの声。
思わず柄に手をかけた源十郎、銀杏の幹へはねかえって身構えると……。
正覚寺の生け垣にそって旱魃《ひでり》つづきで水の乾いた溝がある。ちょうど振袖銀杏の真下だから、おち敷いた金色の葉が吹き寄せられて、みぞ一ぱいに黄金の小川のようにたまっているのだが、その落ち葉の一ところがむくむく[#「むくむく」に傍点]と盛り上がったかと思うとがさがさと溝のなかで起き上がったものがある。
犬? と思ったのは瞬間で、見すえた源十郎の瞳にうつったのは、一升徳利をまくらにしたなんとも得体《えたい》の知れないひとりの人間だった。
「き、貴様ッ! なんだ貴様は?」
おどろきの声が、
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