いわれてぽっかり眼をあけた鉄斎、サラサラと紙をのべながら、夢でも見ているように突然《だしぬけ》にいい出した。
「明日は諏訪《すわ》が勝ち抜いて、この乾雲丸をさすにきまっておる。ついでだが、そち、栄三郎をどう思う?」
 諏訪栄三郎! と聞いて、娘十八、白い顔にぱっと紅葉が散ったかと思うと、座にも居|耐《た》えぬように身をもんで、考えもなく手が畳をなでるばかり――返辞はない。
 墨の香が部屋に流れる。
「はっはっは、うむ! よし! わかっとる」
 大きくうなずいた鉄斎老人、とっぷり墨汁をふくんだ筆を持ちなおすが早いか、雄渾《ゆうこん》な字を白紙の面に躍らせて一気に書き下した。

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本日の試合に優勝したる者へ乾雲丸に添えて娘弥生を進ず
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[#地から3字上げ]小野塚鉄斎

「あれ! お父さまッ!」
 と叫んで弥生の声は、嬉しさと羞《はじ》らいをごっちゃ[#「ごっちゃ」に傍点]にして、今にも消え入りそうだった。
 広やかな道場の板敷き、正面に弓矢八幡の大|額《がく》の下に白髪の小野塚鉄斎がぴたり[#「ぴたり」に傍点]と座を構えて、かたわらの門弟の言葉
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