のころになると、啾々《しゅうしゅう》としてむせび泣く。雲は竜を呼び、竜は雲を望んで、相求め慕《した》いあい二ふりの刀が、同じ真夜中にしくしく[#「しくしく」に傍点]と泣き出すという。
 明日は、十月へはいって初の亥《い》の日で、御玄猪《ごげんちょ》のお祝い、大手には篝火《かがりび》をたき、夕刻から譜代大名が供揃い美々《びび》しく登城して、上様《うえさま》から大名衆一統へいのこ[#「いのこ」に傍点]餅をくださる――これが営中年中行事の一つだが、毎年この日に曙の里小野塚鉄斎の道場に秋の大試合が催されて、高点者に乾雲丸、次点の者に坤竜丸を、納めの式のあいだだけ佩用《はいよう》を許す吉例《きちれい》になっている。もっとも、こういう曰《いわ》くのある刀なのですぐに鉄斎の手へ返すのだけれど、たとえ一時にもせよ、乾坤の刀をさせば低い鼻も高くなるというもの。今年の乾雲丸はぜひとも拙者が――いや、それがしは坤竜をなどと、門弟一同はそれを目的《めあて》に平常の稽古《けいこ》を励むのだった。
 その試合の前夜、鉄斎はこうして一年ぶりに刀を出してしらべている。
「お父様、あの、墨がすれましてございます」弥生に
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