すると、いまその一腰《ひとふり》は、江戸根津権現のうら曙の里の剣道指南小野塚鉄斎方に秘蔵されていると知られたから、江戸の留守居役をとおして金銀に糸目をつけずに交渉《あた》らせてみたが、もとより伝家の重宝、手を変え品をかえても、鉄斎は首を縦にふらない。
 とてもだめ。
 とわかって、正面の話合いはそれで打ち切りになったが、大膳亮の胸に燃える慾炎は、おさまるどころか新たに油を得たも同様で、妄念は七十六里を飛んで雲となり、一図に曙の里の空に揺曳《ようえい》した。
 物をあつめてよろこぶ人が、一つことに気をつめた末、往々にして捉われる迷執《めいしゅう》である。業火《ごうか》である。
 領主大膳亮が、あきらめられぬとあきらめたある夜、おりからの闇黒《やみ》にまぎれて、一つの黒い影が、中村城の不浄門《ふじょうもん》から忍び出て城下を出はずれた。そのあくる日、お徒士《かち》組丹下左膳の名が、ゆえしれず出奔した廉《かど》をもって削られたのである。
 血を流しても孫六を手にすべく、死を賭した決意を見せて、不浄門から放された剣狂丹下左膳、そのころはもう馬子唄のどかに江戸表へ下向の途についていた。
 おもて
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