つっ張ったまま、頤《あご》を引いて、帰って行く人を見上げている。紅い布が半開の牡丹のように畳にこぼれて、油を吸った黄楊《つげ》の櫛が、貝細工のような耳のうしろに悩ましく光っている風情《ふぜい》、散りそめた姥桜にかっ[#「かっ」に傍点]と夕映えが照りつけたようで、熟《う》れ切った女のうまみが、はだけた胸元にのぞく膚の色からも、黒襟かけた糸織のなで肩からも、甘いにおいとなって源十郎の鼻をくすぐる。
 この女はこれでおたずね者なのだ――こう思うと源十郎は、自分が絵草紙の世界にでも生きているような気がした。
「姐御、皆さんお帰りです。お供しやしょう」与吉にうながされて、ひとり残っていたお藤は、片手をうしろに膝を立てた。
「そうだねえ。実《じつ》のない人はいつまで待っていたってしようがない。じゃ、お神輿《みこし》をあげるとしようか。お殿様おやかましゅうございました。おやすみなさい」
「うむ帰るか」
 と源十郎は横になったまんまだ。
 食べ荒らした皿小鉢や、倒れた徳利に蒼白い光がさして、畳の目が読める。
 軒低く、水のような月のおもてに雁《かり》がななめに列《つら》なっていた。
 与吉がお藤を送っ
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