び》に青白い火花が散り咲いて、左膳の頬の刀痕《とうこん》がやみに浮き出た……と思うまに、
「うぬ! しゃらくせえ!」
おめきたった左膳が、ふたたび虎乱《こらん》に踏みこもうとするとき、空を裂いて飛来した泰軒の舟板が眼前に躍った。
「なんでえ! これあ――」
と左膳の峰《みね》打ちに、板はまっぷたつに折れて落ちるとたんに!
「舟へ!」
という泰軒の声。
見ると、女の影が一つの舟へころがりこむところだ。
おお! お艶は無事でいてくれた!
と思うより早く栄三郎も泰軒につづいて舟へとんで、追いすごして石垣から落ちる二、三人の水煙りのなかで、栄三郎がプッツリと艫綱《ともづな》を切って放すと、岸にののしる左膳らの声をあとに、満々たる潮に乗って舟は中流をさした。
二、三人水中に転落したが、一同とともにあやうく石垣の上に踏みとどまった左膳、
「おい、逃げるてえ法《ほう》があるかッ! この乾雲は汝の坤竜にこがれてどこまでも突っ走るのだ。刀が刀を追うのだからそう思え!」
と遠ざかる小舟に怒声を送って、あわただしく左右を見まわした時は、どうしたものか、源十郎とお藤の姿はそこらになかった。
闇黒《やみ》をとかして、帯のように流れる大川の水。
両岸にひろがる八百八町を押しつけて、雨もよいの空はどんよりと低かった。
独楽《こま》のように傾いてゆるく輪をえがきながら、三人を乗せた舟は見る見る本流にさしかかる――。
ギイッ……ギイ! 艪《ろ》べそがきしむ。
胴のまにあったのをさっそく水へおろして、河風に裾をまかせた泰軒が、船宿の若い衆そこのけの艪さばきを見せているのだった。
「あんたはいい腕だ」
と栄三郎をかえりみて、
「よく伸びる剣だ。神変夢想《しんぺんむそう》久しく無沙汰をしておるが、根津あけぼのの里の小野塚老人、あれの手口にそっくりだな」
手拭をぬらして返り血をおとしていた栄三郎、思わず、
「おお! では鉄斎先生を御存じ――」
せきこんだ声も、風に取られて泰軒へ届かないらしく、
「しかし、あの隻腕の浪人者、きゃつ[#「きゃつ」に傍点]はどうして荒い遣《つか》い手だて」
泰軒がつづける。
「あんたよりは殺気が強いしそれに左剣にねばり[#「ねばり」に傍点]がある。まず相対《あいたい》では四分六、残念ながらあんたが四で先方が六じゃ。ははははは、いやよくいって相討《あいう》ちかな――お! 見なさい。来おるぞ、来おるぞ!」
言われて、お米蔵の岸を望むと、左膳の乾雲丸であろう。指揮をくだす光身が暉々《きき》として夜陰に流れ、見るまに石垣を這《は》いおりて、真っ黒にかたまり合った一艘の小舟が、艪音《ろおと》を風に運ばせて矢のように漕いでくる。
「来い、こい! こっちから打ちつけてもよいぞ」と哄笑《こうしょう》した泰軒、上身をのめらせ、反《そ》らせ大きく艪を押し出した。
と、生温い湿気がサッと水面をなでて……ポツリ、と一滴。
「雨だな」
「降って来ました」
言っているうちに、大粒の水がバラバラと舟板を打ったかと思うと、ぞっと襟元が冷え渡って、一時に天地をつなぐ白布《はくふ》の滝《たき》河づらをたたき、飛沫《しぶき》にくもる深夜の雨だ。
お艶は? と見ると、舟に飛びこんだ時から舳先《へさき》につっ伏したきり、女は身じろぎもしないでいる。濡れる! と思った栄三郎が、舟尻《とも》の筵《むしろ》を持って近づきながら、
「驚いたろう? 気分でも悪いか。さ、雨になったからこれをきて、もうしばらくの辛抱《しんぼう》だ……」
と抱き起こそうとすると、
「ほほほほ! なんてまあおやさしい。すみませんねえ、ほんとに」
という歯切れのいい声とともに栄三郎の手を払って顔をあげたのを見れば!
思いきや――お艶ではない!
「やッ! だ、誰だお前は?」
「まあ! 怖《こわ》い顔! 誰でもいいじゃないの。ただ当り矢のお艶さんでなくてお気の毒さま」
櫛まきお藤は白い顔を雨に預けて、鉄火《てっか》に笑った。
「でも、御心配にはおよびますまいよ、今ごろはお艶さんは、本所の殿様の手にしっくり[#「しっくり」に傍点]抱かれているでしょうからねえ。ほほほ、身代りに舟へとびこんで、ここまで出てきたのはいいけれど、あたしゃ馬鹿を見ちゃった。この雨さ。とんだ濡れ場《ば》じゃあ洒落《しゃれ》にもなりゃしない……ちょいと船頭さん、急いでおくれな」
あッ! お艶はさらわれたのだ――栄三郎はよろめく足を踏みこらえて、声も出ない。
立て膝のお藤、舟べりに頬杖《ほおづえ》ついて、
「ねえ、ぼんやり立ってないで、どうするのさ! あたしが憎けりゃ突くなり斬るなり勝手におしよ――それより、どなたか火打ちを? でも、この降雨《ふり》じゃあ駄目か。ちッ! 煙草《たばこ》一つのめやしな
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