ながら、
「いらっしゃいまし――おや! これは鳥越《とりごえ》の若様、お珍しい……」
釣られて源十郎が振り向くと、三座の絵看板からでも抜けて来たような美男の若侍が、ちょうど提《さ》げ刀をしてはいってくるところ。
兼七の愛嬌には眼でこたえて、そのまま二、三人むこうの番頭へ声をかけた。
「やあ、彦兵衛《ひこべえ》。今日は用人の代理に参った」
「それはそれは、どうも恐れ入ります。さ、さ、おかけなすって……これ、清吉《せいきち》、由松《よしまつ》、お座蒲団を持ちな。それからお茶を――」
源十郎、これで気がついてみると、自分にはお茶も座蒲団も出ていない。
用人の代理といって札差し両口屋嘉右衛門の店へ来た諏訪栄三郎のようすを、それ[#「それ」に傍点]と知らずに、じっとこちらから見守っていた源十郎は、ふと[#「ふと」に傍点]眼が栄三郎が袖で隠すようにしている脇差の鐺《こじり》へおちると、思わずはっ[#「はっ」に傍点]として眼をこすった。
平糸まき陣太刀づくり……ではないか!
とすれば?
もちろん、それは左膳の話に聞いた坤竜《こんりゅう》丸、すなわち夜泣きの刀の片割れに相違あるまい。
刀が刀をひいて、早くも、左膳につながる自分の眼に触れたのか――こう思うと、源十郎もさすがにうそ[#「うそ」に傍点]寒く感じて、しばし、
「どうすればよいか?」
と、とっさの途《みち》に迷ったが、すぐに、
「なに、左膳は左膳、俺は俺だ。もう少しこの青二才を見きわめて、その上で左膳へしらせるなりなんなりしても遅くはあるまい。それに、こんな男女郎《おとこじょろう》の一|束《そく》や二束、あえて左膳をわずらわさなくとも、おれ一人で、いや与吉ひとりで片づけてしまう」
ひとり胸に答えて、なおも、さりげなく眼を離さずにいると、そんなこととは知らないから、栄三郎はさっそく要談にとりかかる。
「用人の白木重兵衛《しらきじゅうべえ》が参るべきところであるが、生憎《あいにく》いろいろと用事が多いので、きょうは拙者が用人代りに来たのだ。実は、鳥越の屋敷の屋根が痛んだから瓦師《かわらし》を呼んだところが、総葺替《そうふきか》えにしなければならないと言うので、かなり手数がかかる。兄も、ここちょっと手もとがたらなくて、いささか困却《こんきゃく》しておるのだが、三期の玉落ちで、元利《がんり》引き去って苦しくないから、どうだろう、五十両ばかり用だってもらえまいか」
番頭は二つ返事だ。
いったい札差しは、札差料《ふださしりょう》などと言ってもいくらも取れるわけのものではなく、旗本御家人に金を貸して、利分を見なければ立っていかないのだが、栄三郎の兄大久保藤次郎は、若いが嗜《たしな》みのいい人で、かつて蔵宿から三文も借りたことがないから、さっぱり札差しのもうからないお屋敷である。
ところへ、五十両借りたいという申込み。
三百俵の高で五十両はおやすい御用だ。
「恐れ入りますが、御印形《ごいんぎょう》を?」
「うむ、兄の印を持参いたした」
なるほど、藤次郎の実印に相違ないから、番頭の彦兵衛、チロチロチロとそこへ五十両の耳をそろえて、
「へい。一応おしらべの上お納めを願います」
ここまで見た源十郎は、ああ、自分は三十両の金につまっておるのに、あいつら、この若造へはかえって頼むようにして五十両貸しつけようとしている……刀も刀だが、五十両はどこから来ても五十両だ――と、何を思いついたものか、栄三郎をしりめにかけて、ぶらり[#「ぶらり」に傍点]と、両口屋の店を立ち出でた。
「殿様」
待ちくたびれていたつづみ[#「つづみ」に傍点]の与吉が、源十郎の姿にとび出してきて、
「ずいぶん手間どったじゃあありませんか。おできになりましたかえ?」
駈けよろうとするのを、
「シッ! 大きな声を出すな」
と鋭く叱りつけて、源十郎はそのまま、蔵宿の向う側森田町の露地《ろじ》へずんずん[#「ずんずん」に傍点]はいり込む。
変だな。と思いながら、与吉もついて露地にかくれると、立ちどまった源十郎、
「金はできなかった。が、今、貴様の働き一つで、ここに五十両ころがりこむかも知れぬ」
「わたしの働きで五十両? そいつあ豪気《ごうき》ですね。五十両まとまった、あのズシリと重いところは、久しく手にしませんが忘れられませんね。で、殿様、いってえなんですい、その仕事ってのは?」
「今、あそこの店から若い侍が出て来るから、貴様と俺と他人のように見せて、四、五間おくれてついてこい。俺が手を上げたら、駈け抜けて侍に声をかけるんだ。丁寧に言うんだぞ――ええ、手前は、ただいまお出なすった店の若い者でございますが、お渡し申した金子《きんす》に間違いがあるようですから、ちょいと拝見させていただきたい。なに、一眼見ればわかる
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