映ったのは!
平糸まきの鞘の一部! つづいて陣太刀作り赤銅の柄《つか》!
いわずと知れた夜泣きの刀乾雲丸とみてとるや、栄三郎、一声のどのつまったような叫びをあげて、狂者のごとくおさよを突きのけ、残りの包みに手をかけてバリバリバリッ! と破るより早く、なかの乾雲を取りあげて血走った眼を犇《ひし》! と注いだ。
いつ見ても戦国の霜魄《そうはく》鬱勃《うつぼつ》たる関の孫六の鍛刀……。
「ううむ――」
思わずうなった栄三郎、ハッタとかたわらのおさよを睨《ね》[#ルビの「ね」は底本では「ぬ」]めてにじり寄った。
「お! いかにしてそのもとがこの乾雲丸を……た、丹下左膳はどうしましたッ! さ、それを言われい、それを!」
剣幕にのまれたおさよは、何からどう言い出したものかと、ただもうドギマギするばかり。
「え、あのそれは――」
「エイッ! はっきりと、はっきりとお話しありたい。そもそもこれは何者の指図でござる?」
言いながら栄三郎、乾雲丸を引きつけて眼を寝床のほうへやると! 上気した栄三郎の顔が一度に蒼白に転じた。
何はともあれ、これで手にある坤竜《こんりゅう》と番《つがい》に返り、雲竜ところをひとつにしたと思ったのも束《つか》のま、さっきまで確かに行燈の下にあった脇差坤竜丸が姿を消しているのだ。
「やッ! 坤竜がッ!」
おめいた栄三郎、同時に突っ起っていた。バタバタッと駈けよって枕を蹴る。あろうはずがない! やけつく視線を部屋じゅうに走らせても、櫛まきお藤が忍び入って先刻持ち出した坤竜丸、どうしてそこらに転がっていよう!
「ああない! ない……坤竜がない! ふしぎ……」
栄三郎、乾雲を杖によろめいた。
「あの、では、もう一つのお刀が失くなったのでございますか」
おさよのおろおろ[#「おろおろ」に傍点]声も栄三郎の耳へははいらなかった。
おのが手の竜、ひそかに天角の雲を呼んで、ここに乾坤二刀たえてひさしく再会するかと思いきや、その瞬間にこのたびは竜を逸した栄三郎、二つを対《つい》に、とりあえず腰に帯びてみようと意気ごんだだけに茫然自失のていでしばらくは言葉もなかった――。
と!
ふと気がついたのが裏の戸口。
一足飛びに走り出てみると、果たして台所の土間《どま》が雪に汚れて、何ものかの忍びこんだ形跡《ぎょうせき》歴然《れきぜん》!
「おのれッ!」
と栄三郎、手を乾雲の柄に油障子を引きあけると……いたずらに躍る白羽落花の舞い。
深夜の江戸を一|刷《は》けに押し包んで、雪はいつやむべしと見えなかった。
宿業《しゅくごう》と言おうか――それとも運気《うんき》?
双剣一に収まって和平を楽しむの期《き》いまだ到《いた》らざる証《あかし》であろうが、前門に雲舞いくだって後門《こうもん》竜《りゅう》を脱す。
はいる乾雲に出る坤竜。
それはまことに不可測《ふかそく》なめぐりあわせであったが、栄三郎はついに乾雲の柄をたたいてにっこりとした。
思ってもみよ!
きょうが日まで刃妖左膳の隻腕にあって、幾多の人の血あぶらに飽き剣鬼の手垢《てあか》に赤銅のひかりを増した利刀乾雲丸が、今宵からは若年の剣士諏訪栄三郎のかいなに破邪《はじゃ》のつるぎと変じて、倍旧の迅火殺陣《じんかさつじん》の場に乾雲独自のはたらきを示そうとしているのだ。
そして丹下左膳の手にはあの坤竜丸が!
乾雲坤竜相会して永久の鎮もりに眠るのはいつの時であろう?
それまではこの夜の雪をさながらにまんじ巴《ともえ》、去就ともに端倪《たんげい》すべからざる渦乱であった。
「それはそうと、ねえ栄三郎さん、お話がございますよ」
おさよ婆さんの声に、栄三郎はわれに返って座敷へもどった。
夜※[#「虫+璃のつくり」、第3水準1−91−62]《やち》のごとくに栄三郎の隙をうかがって入りこみ、小刀坤竜丸をさらって逃げ去った櫛まきお藤は、この深夜の雪を蹴って、そもいずこへ消え去ったのであろうか?
かのお藤……。
本所の化物屋敷に出入して、万緑叢中《ばんりょくそうちゅう》紅一点、悪旗本や御家人くずれと車座になって勝負を争っているうちに、人もあろうに離室《はなれ》の食客、隻眼隻腕の剣怪丹下左膳に恋をおぼえ、その取り持ち方を殿様鈴川源十郎に頼んだまではいいが、源十郎に裏切られるにおよんで、深くかれを恨んでいるやさき、当の左膳に意中の女があると聞いて一転|妬情《とじょう》の化身と変じた末が、あの雨の夜、左膳が片思いの相手をつれだして源十郎のこがれるお艶と、栄三郎を仲に醜い角突き合いを演じさせ、ひそかに鬱憤《うっぷん》をはらそうとしたものの、弥生お艶の女同士がやさしい涙にとけあって、お藤のもくさんはガラリとはずれたばかりか。――
江戸お構えの身は思わぬときに捕吏の大群を
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