具の助勢!……と不意をうたれた驚愕の声が、捕吏の口を洩れて、一同、期せずして銃声の方を見やると――。
南蛮渡来《なんばんとらい》の短筒《たんづつ》を擬した白い右手をまっすぐに伸ばして、その袖口を左手でおさえた女の立ち姿が、そろりそろりと庭の立ち木のあいだを近づいて来ていた。
思いがけなくも櫛まきお藤である!
それが、これもお尋ね者のお藤ッ! と気がついて捕吏の面々はあらたにいろめき渡ったのだが、お藤は、ゆっくりと歩を運んで、幹を小楯《こだて》に、ずらりと並ぶ捕役《とりやく》の列に砲口を向けまわして、
「さ、丹下様ッ! お早くッ!――お藤でございます。お迎いに参りました。ここはあたしがおさえておりますから、あなたはなにとぞ裏ぐちから……お藤もすぐにつづきますッ!」
と叫ぶ甲《かん》高い声を聞いて、左膳は、何はともあれ脱出するのが目下の急務だから、依然《いぜん》縁さきに佇立《ちょりつ》する源十郎をしりめにかけて、
「やいッ、鈴源! おれあ手前に咬《か》まれようたあ思わなかったぞ!」
源十郎は冷然と、
「ばかを申せ! 拙者が貴公を訴人したなどとは、徹頭徹尾《てっとうてつび》貴様の誤解だ! 邪推《じゃすい》じゃ!」
「だまれッ! いずれ探ればわかること。早晩《そうばん》この返報《しかえし》はするからそう思え」
「そうとも! いずれ探れば分明《はっきり》することだ――それより丹下、いまは一刻も早くこの場を……!」
「何をお利益《ため》ごかし[#「ごかし」に傍点]に! おおきにお世話だッ!」
左膳と源十郎、こうして短い会話《やりとり》をとりかわしながらも、
「お前さんたち、動くと撃《う》つよ!……この異人の玩具《おもちゃ》は気が早くてねえ、ほほほ」
と突きつけるお藤の短筒に、捕吏の陣が、瞬間、気を抜かれてぽかんとしていると、左膳、一眼を皮肉に笑わせて、すばやくお藤のうしろにまわったが……。
ポン! ポン! と裾を払い、衣紋《えもん》をなおしたかと思うと、べったり返り血に彩られたまま、やがて、さがりそめた夜のとばりに紛れて、ぶらりと裏門を出ていった。乾雲ではない別の大刀を、何事もなかったように落としざして。
と、ただちに。
お藤も、懐中《ふところ》鉄砲の先で、役人のまえに円をえがきながら、にっこと縁の源十郎に意味ふかい蒼白の笑みを投げておいて、あとずさりに木の間を縫って四、五|間《けん》遠のくや、いなや、パッ! と身を躍らして左膳のあとを追った。
みるみる去りゆく剣魔と女怪の二つの影。
それッ! と激しい下知がくだって、捕吏の一団が小突きあいつつふたりの足跡を踏んだ時は、すでに塀のそとには人かげらしいものもなく、道路をはさむ畑に薄夜の靄気《あいき》がこめて、はるかの伏屋《ふせや》に夕餉《ゆうげ》のけむりが白く長くたなびくばかり――法恩寺橋のたもとに、宿なし犬が一匹、淡い宵月の面を望んで吠え立てていた。
……櫛まきお藤、そも左膳を助けだしてどこへ伴おうというのであろうか。
そしてまた、あとに残った源十郎は?
否! それよりもかのおさよはどこに――?
たとえ乾坤二刀、夜泣きの刀のいきさつはなくとも、昨秋あけぼのの里の試合に勝って、当然じぶんのものと信じている弥生のこころが、当の剣敵諏訪栄三郎に傾《かたむ》きつくしていると知っては、丹下左膳の心中はなはだ穏かならぬものがあったことは言うまでもない。
故《ゆえ》に。
栄三郎に対する左膳の気もちは、つるぎに絡《から》む恋のうらみが多分に含まれていたのだが……。
それはさておき。
主君|相馬大膳亮《そうまだいぜんのすけ》殿の秘旨《ひし》を帯びる左膳としては、ここにどう考えてもふしぎでならない一事があった。ほかでもない。それは、かの、栄三郎と泰軒が鈴川の屋敷に斬りこみをかけて、細雨に更《ふ》ける一夜を乱戟に明かし、ようやく暁《あかつき》におよばんとしたとき、まぼろしのごとく現われて、自分等のみならず栄三郎とも刃を合わせたのち、ほどなく東雲《しののめ》の巷《ちまた》に紛れさった五梃駕籠……火事装束の武士たちの正体、ならびにそのこころざしであった。
かれらもまた乾坤|二口《ふたふり》をひとつにせんがため! であることはあの時、交戦の隙《すき》に首領らしい老人が宣示《せんじ》したところによって明らかであるが、それが、怪しきことこのうえなしと言うべきは。
そもそも……。
左膳の密命に端を発して、はからずも、過般来《かはんらい》栄三郎と左膳の間に一大争奪戦が開始されていることは、局にあたる両者と、それをとりまく少数のもの以外、そして、世動運行をあやつる宿命の神のほかは、他に識《し》る者もないはずなのに!
それだのに!
火事装束の五人組は、最初からすべてを見守っていた
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