落ちる栗でも数えるように指を突き出しては喜んでいると!
 西から東へ、一|刷《は》け引いた帯のような夕焼けの雲の下に。
 その真っ赤な残光を庭一面に蹴散らし、踏み乱して、地に躍る細長い影とともに、剣妖丹下左膳、いまし奮迅《ふんじん》のはたらきを示している。
「汝等《うぬら》ア! 来いッ! かたまって来い! ちくしょう……ッ!」
 築山の中腹に血達磨《ちだるま》のごとき姿をさらして、左膳は、左剣を大上段に火を吹くような隻眼で左右を睥睨《へいげい》した。
 迫る暮色。
 暗くなっては敵を逸《いっ》する懼《おそ》れがあるので、一時も早く絡《から》め捕ってしまおうと、御用の勢は、各自手慣れの十手を円形につき突けて――さて、駈けあがろうとはあせるものの、高処《こうしょ》の左剣、いつどこに墜落《ついらく》しようも知れぬとあって、いずれも二の足、三の足を踏むばかり……この間に、石火の剣闘にみだれかけた左膳の呼吸も平常に復して、肩もしずかに、ぴったりと不動のかまえに入っている――。
 と見て、捕り手を率いる同心とおぼしき頭だったひとりが、半弧《はんこ》のうしろから大声に叱呼《しっこ》した。
「やいッ! 丹下左膳とやら。旧冬《きゅうとう》来お膝下を騒がせおった辻斬りの下手人がなんじであることは、もはやお上においては百も承知であるぞッ! これ、なんじも剣の妙手ならば、すみやかに機をさとり、その遁《のが》れられぬを観じて神妙にお縄をちょうだいしたらどうだッ! この期《ご》におよんで無益の腕立ては、なんじの罪科《ざいか》を重らすのみだぞッ!」
 あお白い左膳の顔が、声の来るほうへ微笑した。
「なんだ、辻斬りがどうしたと? いってえ誰が訴人をして、おれのいどころが知れたのか、それを言えッ、それをッ!」
 と低い冷たい声を口の隅から押し出した。
 捕役はなおも高びしゃ[#「びしゃ」に傍点]に、
「さような儀、なんじに申し聞かすすじではないッ!」と一喝したが、思い返したものか、
「だが――」と声を落として、「なんじの相識《しりあい》……意外に近い者から出おったのだ」
 左膳の一眼が残忍《ざんにん》な光を増した。
「な、何ッ? そうか。な、おれは、友に売られたのかッ……うむ! おもしれえ! して、その、おれを訴えでた友達てえのは、どこのどいつだ? これを聞かしてくれ!」
 が、役人は左膳の言葉の終わるを待たず、
「ええイ! なんのかのと暇をとる。聞きたくば縄を打たれてからきけッ――それッ、一同かかれッ!」
 と、あとは、御用! 神妙にいたせ! と怒声がひとつにゆらいで渦を巻いたが、そのどよめき[#「どよめき」に傍点]の切れ目から恨みにかすれる左膳の咽喉が哀願《あいがん》の声を振り絞っているのがかすかに聞こえた。
「おいッ! 情けだあッ! お、教えてくれ!――いッ! だ、だれがおれを裏切ったのか……そ、それを知らねえで不浄《ふじょう》縄にかかれるかッ? よ! 一言! よう! 名を言え、訴人の名を言えよ名をウ――!」
 が、役人どもは、すでに懸命の十手さばきにかたく口を結んで、こたえる気色《けしき》もいとま[#「いとま」に傍点]もない。雨と降り、風と吹きまくる御用十手の暴風雨のなかから、この時ふと左膳の眼についたのは、縁に立つて茫然自失の態《てい》で、この自分の難を眺めている鈴川源十郎のすがたであった。
 見るより左膳、たちまち脳裏《のうり》にひらめいたものあるごとく、
「や! 源十! こらッ源公! て、てめえだなッおれを訴えたのはッ!」
 おめきざま、乾雲丸ではないが、左膳の剣に一段の冴えが加わって、かれは即座に左右にまつわる捕り手の二、三をばらり[#「ばらり」に傍点]――ズン! 薙伏《なぎふ》せたかと思うと、怨恨《えんこん》と復讐《ふくしゅう》にきらめく一眼を源十郎の上に走らせ、長駆《ちょうく》、地を踏みきって、むらがる十手の中を縁へ向かって疾駆《しっく》し来《きた》った。
 とたんに。
 ズウウウン! と一発、底うなりのする砲声が冬木立ちの枝をゆるがせて、屋敷のそとからとどろき渡った。

 本所化物屋敷の荒れ庭に、血沫《ちしぶき》をあげて逆巻《さかま》く十手の浪と左手の剣風……。
 奇刀乾雲丸は、不可解の一団に持ち去られたと称して手もとにないものの、剣狂左膳の技能は、あえて乾雲を俟《ま》たなくても自在に奔駆《ほんく》した。
 そうして。
 ひそかに自分を訴えでたのは、てっきりこの家のあるじ鈴川源十郎に相違ないと、ひとりぎめに確信した左膳が、今や、算を乱し影をまじえて、むらがる捕吏《ほり》を突破し、長駆一躍して、縁の源十郎へ殺到した刹那に!
 突《とつ》! 薄暮紺色の大気をついて一発|炸然《さくぜん》と鳴りひびいたふところ鉄砲の音であった。
 やッ! 飛び道
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