く寝泊りをして天下禁制《てんかきんせい》のいたずらがはずむ、車座に勝負を争う――ばくちだ。本所の化物屋敷としてわる御家人旗本のあいだに知られていたのがこの鈴川源十郎の住居であった。
しかしそういう寄り合いがあって忙しい思いをしたあくる朝は、膳部《ぜんぶ》のあとで必ず、
「おい土生、ゆうべは貴公が旗上げだ、いくらかおさよに小遣《こづかい》をやれ」
「よし! 悪銭《あくせん》身につかず。いくらでも取らせる。これ、さよ……と言ったな前へ出ろ」
などと四百くらいの銭をポウンとなげうってくれるので、そのたびにもらった二、三百の銭を……。
おさよの考えでは、こうして臨時にいただいたお鳥目《ちょうもく》をためたら、半分には極《き》めのお給金よりもこのほうが多かろう。そうすれば、三年のあいだ辛抱したら、娘お艶の男栄三郎がちっと大きな御家人の、……株を買う足《た》しにもなろうというもの……と、先を思って一心に働いていたが、そのうちにふと立ち聞きしたのが食客丹下左膳の身の上と密旨《みっし》、並びに、夜泣きの大小とやらにからんで栄三郎にまつわる黒い影であった。
が、同藩の仲と知っても、おさよはひとり胸にたたんで、ただそれとなく左膳のようすに眼をつけているとやがて、降《ふ》ってわいた大変ごとというべきは、むすめのお艶がある夜殿様の源十郎にさらわれて来て奥の納戸《なんど》へとじこめられた。
それを、親娘《おやこ》と気どられないように、かげにあって守りとおさねばならなかった。おさよの苦心はいかばかりであったろう。
しかるに。
源十郎がお艶を生涯のめかけにほしいと誠心をおもてに表わして言うので、おさよといえども何も慾《よく》にからんで鞍替《くらが》えをしたわけではないが、老いの身のまず考えるのは自分ら母娘ふたりの行く末のことだ。ここらで思いきってお艶と栄三郎を引き離し、お艶は内実《ないじつ》は五百石の奥方。じぶんはそのお腹様という栄達《えいたつ》に上ろうとさかんに源十郎に代わってお艶をくどいてみたものの、栄三郎に恋いこがれているお艶はなんとすすめても承知しなかった。
手切れのしるしには、栄三郎が生命を的《まと》にさがしている乾雲丸を、源十郎の助力によって左膳から奪って与えればいいとまで私《ひそ》かに思案が決まったところ、かんじんのお艶にこっそり逃げられてしまったのだった。
これは櫛まきお藤が源十郎へのはらいせ[#「はらいせ」に傍点]につれ出したのだが、源十郎はそうとは知らずにその尻《しり》をそっくりおさよ婆さんへ持ってきて、今までお艶を幽閉《ゆうへい》しておいた納戸へこんどはおさよを押しこめ、第一におさよお艶のかかわりあいから聞き出そうと毎日のように折檻《せっかん》した。
その間に栄三郎泰軒の救いの手が、ついそこまで伸びて来て届かなかったのが、この、源十郎の詰問《きつもん》の結果。
はい。じつはわたくしはお艶の母、あれはわたくしの娘でございます。
とおさよの口から一言|洩《も》れると源十郎、高だかと会心の哄笑をゆすりあげて、
「いや、そのようなことであろうと思っておった。さてはやはり、いつか話に聞いた娘というのはあのお艶のこと、男の旗本の次男坊は諏訪栄三郎であったか。だが、はっきりそうわかってみれば、思う女の生みの母御《ははご》なら、この源十郎にとっても義理ある母だ。こりゃ粗略《そりゃく》には扱われぬ。知らぬこととは言い条《じょう》、いままでの非礼の段々|平《ひら》におゆるしありたい」
と、奸智《かんち》にたけた鈴川源十郎、たちまちおさよを実の母のごとく敬《うやま》って手をついて詫びぬばかり、ただちに招《しょう》じて小綺麗《こぎれい》な一|間《ま》をあたえ、今ではおさよ、何不自由なく、かえって源十郎につかえられているありさま。
将《しょう》を射《い》んと欲《ほっ》せばまず馬を射よ。あるいは曰《いわ》く、敵は本能寺《ほんのうじ》にありというわけで、源十郎はこのおふくろをちょろまかし[#「ちょろまかし」に傍点]て、それからおいおいお艶を手に入れようと、今日もこうしておさよに暖かそうな、小袖か何か着せて、さも神妙に日の当たる座敷によもやまのはなし相手をつとめていると――。
「ごめんくださいまし……」
と裏口に案内を求める町人らしい声。
「こんちは……ごめんくださいまし。おさよさんはいませんかね?」
と喜左衛門が大声をあげても、誰も出てくるようすはないから、こんどは鍛冶屋富五郎が引き取っていっそうがなりたてている。
「おさよさアン! おさよ婆あさん! ちッ! いねえのかしら……? じれってえなあ」
と、この声々が奥へつつぬけてくるから、おさよも源十郎のお相手とはいえ、じっとしてはいられない。すぐに裏口へ立って行こうとするのを鈴川
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