ほ、お気の毒だったねえ。だからさ、だから責められないうちに白状《はくじょう》おしよ」
「へ? 白状って? あっしゃ何も櫛まきの姐御に包み隠しはいたしませんよ。そこへ突然あつういやつ[#「やつ」に傍点]をニュウッ! と来たもんだ。へっへ、人が悪いぜ姐御」
「何を言ってやんだい! そんならきくけど、その旅仕度はどうしたのさ?」
「あ! これか」と与吉は頓狂《とんきょう》に頭をかいて、「これあ、なんだ、私が味噌《みそ》をしぼった化けこみなんだ。てえのが、姐御も知ってのとおり、わたしも浅草じゃあ駒形のつづみとかってちったあ知られた顔だから、おまけにあの栄三郎てえ若造にあ覚えられてもいるしね、きょうの仕事に当たって、素《す》じゃあどうもおもしろくねえ。かといって変に細工をして扮装《つく》りゃあかえって人眼につくしさ、さんざ[#「さんざ」に傍点]考えたあげくのはてが、この旅人すがたと洒落《しゃれ》たんでございます。どうです、似合いましょうヘヘヘ」
「ああ、そうかい」軽く受けながらも、お藤はきらり[#「きらり」に傍点]と与吉の顔へ瞳を射った。「じゃ、どこへも走るんじゃないんだね?」
「正直のところ、姐御がいらっしゃる間は、与吉も江戸を見限りはいたしません」
「うまいこといってるよ。左膳様は?」
「さあ――鈴川さんとこにおいででげしょう」
「げしょう[#「げしょう」に傍点]とはなんだい、知らないのかい?」
「このごろ、あの屋敷にはお上の眼が光っておりますから、あっしもここすこし足を抜いております」
「そんならいいけれど、与の公、お前はどうも左膳さまとは同じ穴の狸《むじな》らしいね」
「と、とんでもない!」
 とあわてる与吉を、お藤はじろり[#「じろり」に傍点]と冷やかに見て、
「とにかく、お前と左《さ》の字とは何をもくろんでるか知れやしない。あたしゃこんな性分で中途はんぱなことが大嫌いさ。どうせ袖にされたんだから、これからずっと何かと丹下さまのじゃまをするつもりだよ、もう当分お前をこの家から出さないからね。いいかい、そう思っておいで」
「姐御、そいつあ一つ勘弁《かんべん》願いてえ」
 と剽軽《ひょうきん》に頭をさげながら、与吉が、めいわくそうな、それでいて嬉しそうな顔を隠すように伏せていると、お藤が下からのぞきこんだ。
「お前の、左の字に頼まれて弥生《やよい》さんをねらっておいでだろうねえ? ところが与の公、あの娘《こ》は先日から行方知れずさ」
 弥生が行方不明《ゆくえふめい》に!
 事実、いつぞや雨の朝早く、しょんぼりと瓦町の栄三郎の家を出て以来、弥生は番町の養家多門方へも帰らなければ、その後だれひとり姿を見たものもない……。
 生きてか死んでか――弥生の消息はばったり[#「ばったり」に傍点]と絶えたのだった。
 不審《ふしん》! といえば、もうひとつ。同じ明け方に、この櫛まきお藤は、第六天篠塚稲荷の前で捕り手に囲まれて、すでに危うかったはずではないか、それが、鉄火《てっか》とはいえ、女の手だけでどうしてあの重囲《じゅうい》を切り抜けて、ここにこうして、今つづみ[#「つづみ」に傍点]の与吉を、なかば色仕掛《いろじかけ》で柔らかい捕虜《とりこ》にしようとしているのであろう。
 謎《なぞ》は謎を生み、わからないことずくめだが、それより、もっと合点《がってん》のいかない一事は。
 ちょうど同じころおい。
 左膳の手紙を、大岡さまとは知らないが、由ありげな武士に拾われてしまった諏訪栄三郎が、気の抜けたように露地の奥の自宅《うち》へ立ち帰って、ぼんやりと格子戸をあけると!
 水茶屋の足を洗って以来、いつもぐるぐる巻きにしかしたことのない髪を、何を思ってかお艶はきょうは粋《いき》な銀杏《いちょう》返しに取りあげて、だらしのない横ずわりのまま白い二の腕もあらわに……あわせ鏡。
「だれ? おや! はいるならあとをしめておはいりよ。なんだい。ほこりが吹きこむじゃないか。ちッ。またお金に縁《えん》のない顔をさげてさ。ああ、嫌だ、いやだ!」
 うらと表の合わせかがみ――この変わりよう果たしてお艶の本心であろうか?

   煩悩外道《ぼんのうげどう》

 あさくさ田原町の家主喜左衛門と鍛冶屋富五郎との口ききでおさよが鈴川源十郎方へ住みこんだ始めのころは。
 五百石のお旗本だが、小普請《こぶしん》で登城をしないから馬もなければ馬丁もいない。下女もおさよひとりという始末。
 狐《きつね》でも出そうな淋しいところで家といっては鈴川の屋敷一軒しかない。
 それでも御奉公大事につとめていると、丹下左膳《たんげさぜん》、土生仙之助《はぶせんのすけ》、櫛《くし》まきお藤《ふじ》、つづみ[#「つづみ」に傍点]の与吉をはじめ、多勢の連中が毎夜のように集まって来ては、ある時は何日とな
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