戸の左右にひそんで、じっと耳をすまして家内をうかがった。
お艶の口から、ここに乾雲丸の丹下左膳が潜伏していることを知り、お艶にはないしょで、今夜不意討ちに乗りこんだ諏訪栄三郎と蒲生泰軒である、来る途中で、獲物代りに道ばたの棒杭《ぼうぐい》を抜いた泰軒、栄三郎にささやいて手はずを決めた。
「あんたは専念《せんねん》丹下にかかるがよい。お艶さんの話によると、たえず四、五人から十人の無頼物《ならずもの》が屋敷に寝泊りしておるそうだが、じゃまが入れば何人でもわしが引き受けるから」
というたのもしい泰軒の言葉に、こんどこそはいかにもして夜泣きの片割れ乾雲丸を手に入れねばならぬと、栄三郎は強い決意を眉宇《びう》に示して、ひそかに武蔵太郎を撫《ぶ》しつつ夜盗《やとう》のごとく鈴川の邸内へ忍びこんだのだった。
深夜。暗さは暗し、折りからの雨。寝こみをおそうにはもってこいの晩である。小声にいましめあって離室《はなれ》に迫った泰軒と栄三郎は、戸をあけたひとりは栄三郎が、抜き討ちに斬って捨てたもののそれは名もない小|博奕《ばくち》うちの御家悪《ごけあく》ででもあるらしく、なかには、当の左膳をはじめ何人あぶれ者が雑魚寝《ざこね》をしているかわからないから、両人といえどもうかつには踏みこめない。
今の物音は源十郎達のいる母屋《おもや》には聞こえなかったらしいが、はなれの連中が気をつめ、いきを凝《こ》らしていることはたしかだ。が、そとに寄りそっている栄三郎泰軒の耳には、雨の滴底に夜の歩調が通うばかりで……、いつまで待ってもうんともすんとも反応がない。
と、思っていると、
雨戸のなかに、コソ! と人の動くけはいがして、同時にふっと枕あんどんを吹き消した。
踏みこまねば際限《きり》がない! と気負《きお》いたった栄三郎が、泰軒にあとを頼んで戸のあいだに身を入れた間《かん》一|髪《ぱつ》! 内側に待っていた氷剣、宙を切って栄三郎の肩口へ! と見えた瞬間《しゅんかん》、武蔵太郎の大鍔《おおつば》南蛮鉄、ガッ! と下から噛み返して、強打した金物のにおいが一|抹《まつ》の闘気を呼んで鼻をかすめる。とたんに! 伸びきった栄三郎の片手なぐり、神変夢想流でいう如意《にょい》の剣鋩《けんぼう》に見事血花が咲いて、またもやひとり、高股をおさえて鷺跳《さぎと》びのまま※[#「てへん+堂」、第4水準2−13−41]《ど》ッ! と得|耐《た》えず縁に崩れる。
かぶさってくるその傷負《てお》いを蹴ほどいて、一歩敷居に足をかけ、栄三郎、血のしたたる剛刀をやみに青眼……無言の気合いを腹底からふるいおこして。
静寂不動《せいじゃくふどう》。
たちまち、暗がりに慣れた栄三郎の眼に、部屋の中央に端坐《たんざ》して一刀をひきつけている人影がおぼろに浮かんできた。
「坤竜か。この雨に、よく来たなあ! 先夜は失礼した――」
低迷する左膳の声――とともにこの時母家のほうに当たって戸のあく音がして、鈴川源十郎のがなりたてるのが聞こえた。
「なんだッ! 丹下ッ! 何事がおきたのかッ!」
真十五枚|甲伏《かぶとぶせ》の法を作り出して新刀の鍛練《たんれん》に一家をなした大村|加卜《かぼく》。
かぶと伏せは俗に丸鍛《まるぎた》えともいい、出来上がり青味を帯びて烈《はげ》しい業物《わざもの》であるという。もと鎌倉藤源次助真が自得《じとく》したきりで伝わらなかったのを、加卜これを完成し、世の太刀は死に物なり甲伏は活太刀《かったち》なりと説破して一代に打つところ僅かに百振りを出なかった。
武蔵太郎安国は、この大村加卜の門人である。
いまこの、武蔵太郎つくるところの一刀をピッタリ青眼につけた諏訪栄三郎、闇黒に沈む庵内に眼をこらして、長駆してくるはずの乾雲丸にそなえていると。
別棟《べつむね》の母家のほうがざわめき渡って、鈴川源十郎、土生仙之助、つづみ[#「つづみ」に傍点]の与吉、その他十四、五人の声々が叫びかわしているようす。
今にも庭へ流れ出てくれば、闇中の乱刃に泰軒ひとりでは心もとない……とふと栄三郎の心が戸外へむくと、うしろの戸口に!
「栄三郎殿ッ! ここは拙者が引き受けたぞ。こころおきなく丹下をしとめられい!」
との凜《りん》たる泰軒の声に、栄三郎は決然として後顧《こうこ》のうれいを絶ったが、しとめられい! と聞いて、にっとくらがりに歯を見せて笑ったのは、まだ膝をそろえてすわっている丹下左膳だった。
「ここへ斬りこんでくるとは、てめえもいよいよ死期が近えな」
と剣妖左膳、ガチリと鍔が鳴ったのは、乾雲の柄を握った片手に力がこもったのであろう。同時に、
「では、そろそろ参るとしようかッ」
と、おめきざま、紫電《しでん》低く走って栄三郎の膝へきた。跳びのいた栄三郎、横に流れた
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