《さかな》に、時ならぬ夜ざかもりがはずんで、ここ離庵の左膳の居間には、左膳、源十郎、仙之助に与吉。
赤鬼青鬼|地獄酒宴《じごくしゅえん》の図。
「おいッ! 源十、源的、源の字、ああいや、鈴川源十郎殿ッ! 一|献《こん》参ろう」
左膳、大刀乾雲丸を膝近く引きつけて、玉山|崩《くず》れようとして一眼ことのほか赤い。
「す、鈴川源十郎殿、ときやがらあ! しかしなんだぞ、ううい、貴公はなかなかもって手性《てしょう》がいいや、こうつけた青眼に相当重みがある。さそいに乗らねえところがえらい。去水流ごときは畢竟《ひっきょう》これ居合の芸当だな。見事おれに破られたじゃあねえか。あっはっは」
底の知れない微笑とともに、源十郎は左膳に、盃《さかずき》を返して、
「貴様の殺剣とは違っておれのは王道《おうどう》の剣だ」
すると左膳は手のない袖をゆすって嘯笑《しょうしょう》した。
「殺人剣即活人剣。よく殺す者またよく活《い》かす……はははは。貴様はかわいやつだよなあ、おれの兄貴だ。ま、無頼の弟と思って、末ながく頼むよ」
と左膳、源十郎ともにけろりとしている。
左膳が隻腕の肘《ひじ》をはって型ばかりの低頭《じぎ》をすると、土生仙之助が手をうった。
「そうだ、そうだ! 言わば兄弟喧嘩だ。根に持つことはない」
「へえ。土生の御前のおっしゃるとおりでございます」いつのまにか来て末座につらなっている与吉も、両方の顔いろを見ながら口を出す。
「ただ、このうえは皆様がお手貸《てか》しなすって、丹下の殿様が首尾よくお刀をお納めになるようにと、へえ、手前も祈らねえ日はございません……あっしみてえな三下でも何かお役に立つことがありましたら、申しつけくださいまし」
「うむ」刀痕の深い顔を酒に輝かせて、快然と笑った左膳、「まあ、いいや。話が理に落ちた。しかし、あんな若造の一匹や二匹おれの手ひとつで片のつかねえわけはねえが、総髪ひげむくじゃらの乞食がひとりついている。あいつには、この左膳もいささか手を焼いた」
と語り出したのは。
いつぞやの夜、大岡の邸前に辻斬りを働いた節《せつ》。
おぼえのあるこじき浪人の偉丈夫に見とがめられて、先方が背をめぐらしたところを乾雲を躍らして斬りつけたが、や! 損じたかッ! と気のついた時は、すでに相手は動発して身をかわし、瞬間、こっちの肘に指力を感じたかと思うと、肩の闇黒に一声。
馬鹿めッ
と! もう姿は真夜《しんや》の霧に消えていた――。
「あのときだけはおれも汗をかいたよ」
こう左膳が結ぶと、
「上には上があるものだな」
「へえい! だが、丹下さまより強いやつなんて、ねえ殿様、そいつあまあ天狗《てんぐ》でげしょう」
などと仙之助と与吉、それぞれに追従《ついしょう》を忘れないが、源十郎は、ひとり杯のふちをなめながら中庭の足音をこころ待ちしている……気を入れかえたお艶が、いまにもあでやかな笑顔を見せるであろうと。
赤っぽい光を乱して、四人の影が入りまじる。さかずきが飛ぶ。箸が伸びる。徳利の底をたたく――長夜の飲《いん》。言葉が切れると、夜の更ける音が耳をつき刺すようだ。
左膳は、剣を抱いて横になる。
「お藤はどうした?」
「へえ。さっき帰りました」
「すこし手荒かったかな、ははははは」
と左膳が虹のような酒気を吐いたとき、おさよの声が土間|口《ぐち》をのぞいた。
「殿様、ちょっとお顔を拝借《はいしゃく》……」
起きあがった源十郎は、
「お艶が待っていると申すぞ。ひとりで眺めずにここへつれて参れ」
という左膳の揶揄《やゆ》を背中に聞いておさよと並んで母屋のほうへ歩き出した。
霜に凝《こ》ろうとする夜露に、庭下駄の緒《お》が重く湿《しめ》る。
風に雨の香がしていた。
「殿様」
「なんだ」
「あの、お艶のことでございますが」
「うん。どうじゃな? 靡《なび》きそうか」
「はい。いろいろといい聞かせましたところが、一生おそばにおいてくださるなら――と申しております」
「そうか。御苦労《ごくろう》。いずれ後から貴様にも礼を取らせる」
「いいえ、そんな――けれど、殿様」
「なんだ?」
「あのう、わたくしはお艶の……」
いいながらおさよが納戸《なんど》をあけると、一眼なかを見た源十郎、むずと老婆の手をつかんだ。
「やッ! 見ろッ! おらんではないかお艶はッ! あ! 縁《えん》があいとる! に、逃がしたな貴様ッ!」
関の孫六の鍛刀乾雲丸。
夜泣きの刀のいわれは、脇差坤竜丸と所をべつにすれば……かならず丑満《うしみつ》のころあいに迷雲、地中の竜を慕ってすすり哭《な》くとの伝奇《でんき》である。
いまや山川草木《さんせんそうもく》の霊さえ眠る真夜なか。
この、本所鈴川の屋敷の離室《はなれ》で。
左膳は、またしても
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