話《はなし》耳にはいりましたか」
「うむ。刀のところまで聞いた。あとは知らぬ。おもしろそうなはなしだったな」
「あの、しからば、刀のことを――?」
「さよう。悪かったかな?」
 栄三郎の眼がけわしい光をおびてくる。
「いくら悪くても、もう聞いてしまったのだからいたしかたあるまい」男は平気だ。「それより、あんたにはほかに助力がなければ、わしが手をかしてもいいと思っておる。が、密事を知ったが肯《うなず》かれんと言うならどうとも勝手にするがよい。第一よその家へ断りもなしにはいりこむほうがふとどきだ」
「なに? 助力を? はははははは」
 栄三郎は膝をうって不敵に笑った。すると男は、
「そうだ。おれの助太刀がほしければ、ひとこと頼むと頭をさげろ」
「何を無礼な!」かっ[#「かっ」に傍点]となった栄三郎、「いわせておけばすきな熱を! 誰が頼むものかッ」
「頼まぬ? そうか」
 男がにっこりすると、白い歯がちかときらめく。
「そうか。頼まぬか。それなら一つ、おれから頼んで一|肌《はだ》ぬがせてもらおうかな」
「…………?」
「いや、なに、人に頭をさげぬ人にはわしが頭をさげたい。援助を頼まぬというところがたのもしい」
 と首を伸ばしてお艶をのぞきながら、
「御新造《ごしんぞ》、小才子《しょうさいし》のはびこるこの世に、あんたあ珍しい大魚を釣り上げましたなあ、でかした、でかした! はっははは、大事にしてあげなさい」
 御新造――と呼ばれて火のようになったお艶も、何かしら胸にこみあげる感激に突如眼のうちが熱くなって栄三郎の背に顔を押しつけた。
 栄三郎は、のめるようにどたり[#「どたり」に傍点]と板に手をついて、
「先刻からの無礼、平におゆるしありたい。改めてお力添えお願い申す」
「承知した! が、それでは痛み入る。まずお手を、ささ、手を上げられい」
「さだめし世に聞こえし隠者《いんじゃ》、御尊名は?」
「隠とは隠れた者、ところがこのとおりどこにでも現われる。名か。そいつは……」
 と口ごもったから、また名のない男と答えるかと思うと、
「蒲生泰軒《がもうたいけん》と申す」
「してただいま、人の家へ断りなしに――と言われましたが、お住いは?」
「困ったな。この舟でござる――いや、べつにこの舟とは限らん。いつもここらにつないである舟はすべてわしの宿だ。ははははは、天《あめ》が下《した》に
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