、人のこころを品物ではなし、ゆずるのゆずらぬのと……」
「二世をちぎった? ははははは、これは恐れ入った。お若い! で、御不承か」
「もちろん!」
「しからば余儀ない。拙者、いずれ左膳に助力してその坤竜丸を申し受けるが、ついでに、お艶ももはや拙者のものと観念めされい」
「御随意に。丹下殿へもよろしく伝えられたい」
「ごめん」
 と源十郎が歩き出したとき、さっき帰って来たものの、自分の名を耳にしてはいりかねていたお艶が栄三郎の真身《しんみ》に感きわまったものか、花びらのように転びこんで、白い腕が栄三郎の首にすがったかと思うと、ことばもなく顔を男の胸にうずめて……
 そのさまに、こりゃたまらぬ! と馬鹿を見た源十郎、
「その女、しばらく預けておくとしよう」
 捨てぜりふとともに袂《たもと》をたたいて、ぶらり[#「ぶらり」に傍点]と当り矢の店を出て行った。
 おなじ時刻に。
 夜も昼もない常闇《とこやみ》の世界。
 八つ下りの陽がかんかん[#「かんかん」に傍点]照りつけるのに、乾割れの来そうな雨戸をぴったりとしめきって、法恩寺まえの鈴川の屋敷では丹下左膳がいびきをかいていた。
 茶室めかした六畳の離庵《はなれ》。
 足の踏み立て場もなくちらかしたまん中に、四布蒲団《よのぶとん》の柏餅から毛脛を二本投げ出して、夜出歩く左膳はこうして昼眠っているのだ。
 垢とあぶらに重くにごった室内に、板の隙を洩れる細い光線がふしぎな縞を織り出している。
 あの夜――乾雲丸を手に入れて以来、栄三郎の坤竜を気に病む左膳ではないが、何者かに憑《つ》かれ悩んでいるらしかった。癖せた身体がいっそう骨張って、食もほそり、酒さえすすまぬ案山子《かかし》のような姿で夜ごと曙の里あたりを徘徊《はいかい》するのが見られたが、主《しゅ》を失った鉄斎道場の門は固くしまって弥生のゆくえはどことも知れなかった。
 大主にふくめられた秘旨《ひし》は忘れぬ。またお藤のなさけも感ぜぬではないが、あの娘は仕合に勝って取ったのだと思うと、咲きほこる海棠《かいどう》のような弥生の姿が、四六時中左膳の隻眼にちらつく――恋の丹下左膳。
 隻腕の身の片思い。
 恋慕の糸のもつれは利刀《りとう》乾雲でも断ち切れなかった。
 夢に提灯をさげて築山の裾をゆく弥生がうかぶ。ううむ! と左膳が寝返りをうった時、やにわに! 紙を貼った戸の節穴《ふ
前へ 次へ
全379ページ中40ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング