ものは知らぬといわせてやった。はっはっは、これならばもう彼は相馬の士ではない。いわば野良犬……な、斬ろうと張ろうと、北の方角から文句の出るおそれはないわい。存分に……」
「そうかッ! よしッ」
「奉行いたずらに賢人ぶるにおいては――ではないが、わしにも眼がある。黙っておってもやるだけのことはやるよ。江戸の始末はわしに任《まか》せておいて、どこまでもあの船を追ってゆくがよい。早ういけ! あんなに小そうなったぞ!」
 黙ってこの侍に頭を下げた泰軒、栄三郎を促して、差しまわしの船に飛び乗った。
 屈強の船方がそろっている。
 すぐに櫓なみをはずませて、左膳の船のあとを追い出した。
 しおどめ。
 左に仙気《せんき》稲荷。
 一望、ただ水。
 広やかな眺めである。
 ギイギイと櫓べそのきしむ音。
 二艘の船は、こうして江戸を船出したのだった。
 藍《あい》いろの海。
 うす青い連山。
 かえり見ると、磯に下り立つ覆面のさむらいの姿は、針の先となって視界のそとに没し去ろうとしていた。
 ……水と空のみが、船と船のゆくてにあった。

  夕陽《ゆうひ》の辻《つじ》

 似よりの船あし。
 風のない昼夜。
 油を流したような入《い》り海《うみ》に、おなじ隔《へだ》たりがふたつの船のあいだに何日となくつづいた。
 白い水尾《みお》[#ルビの「みお」は底本では「みを」]を引く左膳の船のあとに乗って、栄三郎、泰軒の船があきもせずについてゆくばかり……。
 敵意も戦意も失せそうな、だるい航海のあけくれだった。
 その間、左膳の船では。
 むりやりに担《かつ》ぎこみはしたものの、いざそばに見るとその気高《けだか》い処女の威におされて、さすがの左膳も弥生には手が出せず、今はただ雲竜双刀のみを守って弥生は大切に取り扱い、ひたすら一路相馬中村に近い松川浦へ船の入る日を待っているのだった。
 月輪の三士、軍之助、各務房之丞、山東平七郎とても同じこと。
 血筆帳《けっぴつちょう》の旅で江戸へ出たとき、かれらのうち誰がこんにちのさびしさを思ったものがあろう!
 三十一人わずか三人に減じられて、落人《おちうど》のごとく胴の間にさらされているのだ。
 栄枯盛衰《えいこせいすい》――そうした言葉が、軍之助の胸を去来してやまなかった。
 板子《いたこ》一枚下は地獄。
 海の旅は、同船のものをしたしくする。
 
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