血におのが汗をしぼりこんで、この水火の秘文《ひもん》をしたため遺《のこ》しているのではないか!
 そのうちに、書き終わった孫六は秘文を中断して割文となし、ふるえる手で、乾坤二刃のみにそれぞれに捲《ま》きしめている……が、ここまで自分の想描《そうびょう》を追って来たとき、弥生はハッ! として[#「ハッ! として」は底本では「ハッ!として」]眼をまえの得印老士のほうへ返した。
 死につつある孫六の顔が、兼光のように見えて来、再びそれが、亡父《ぼうふ》鉄斎のおもかげに変わりだしたような気がしたからだ。
「弥生どの!」
 りんとした得印兼光の声が、鋭く弥生を呼んでいるのだった。
「は」
 これで弥生、暗中の醒夢《せいむ》をふるいおとしていずまいをなおした。
「かかる次第じゃによって、わしはいかにもして、一時かの二剣を手にせねばならぬのじゃ。ナニ、ちょっとでよい。ほんの一刻、ふたつの柄をはずして秘文を取り出しさえすればあとの刀には、わしはなんらの未練も執着も持ち申さぬ。当然、正当の所有主《もちぬし》たるそこもとへ即時返上つかまつるでござろう」
「は。そのお言葉を頼みに、わたくしも豆太郎も、せいぜい働きますでござりまする。ではそのようなことに――何はともあれ、二剣ひとまず御老人のお手もとへ! ハッ心得ました」
 老士はただ、会心の笑みを洩らしただけらしい。こたえはなかった。
 が!
 雲竜奪取もさることながら……。
 弥生のこころは、いつしか先夜、豆太郎とともに深川のお山びらきに左膳月輪を襲った時に、瓦町からつけていった栄三郎の姿。さては、夕ぐれ彼の帰り来る折りの風流べに絵売りのいでたち――それらの思い出を悲しく蔵して浮きたたなかった。
 扮装《なり》は男でも、名は若侍でも、弥生はやはり弥生、成らぬ哀慕に人知れず泣くあけぼの小町のなみだは今もむかしもかわりなく至純《しじゅん》であった。
 と、そこへ。
 おなじ夜に、旗亭《きてい》の二階に障子をあけて現われたお艶の芸者すがたが眼にうかぶ。
 自分に義理を立てて、さてはあの女は歌妓《かぎ》とまで身をおとしたのか……すまぬ!
 こう弥生が、あやうく口に出して独語《ひとりご》とうとしたとき、
「オヤオヤ! これあ驚きましたな。ばかに暗いじゃありませんか」
 豆太郎が、あんどんに灯を入れて来た。

  候《そうろう》かしく

 四月。

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