》は雨でがなあろう……春の夜の重い空気がなまあったかく湿って、庭ごしに見える子恋の森のいただきには、月も星もひかりを投げていなかった。
沈黙――を破った得印兼光のことば。
それによると。
合符《がっぷ》……割文《わりふみ》というのは。
一枚の小さな紙に、ひとつの文句をはじめから書いていき、他の文句をしまいから逆に行間《ぎょうかん》に埋めて両文相|俟《ま》って始めて一貫した意味を持っているものを、その紙片の中央から、ふたつに破いておのおの別々に携帯せしめて敵地を通過させる戦陣|音信《いんしん》の一法であった。
かくすれば。
たとえ二人の使いのうちひとりが敵の手中におちて書状の一片を取りあげられたところで、敵は、もう一つの半片をも得ない限り、そこになんら貫徹した文章を読むことができず、二人を離して派遣しさえすればこの合符割文《がっぷわりふみ》の文づかいは、当時まず安全に近い通信法となっていた。
これに思いついたのであろう、関の孫六が、その水火鍛錬の秘訣を後人に遺した文状は、すなわちこの合符わり文の一書二分になっていたのだ。
かれ孫六……。
死床にあってすでに天命の近きを知るや、人を遠ざけた病室にひとり粛然と端座してしずかに筆紙をとり、ほそ長い一片の紙に針の先のごとき細字をもって――。
[#ここから2字下げ]
一、水はやいばわたしが肝《かん》じんにて候《そうろう》。
そは、熱刀を水中に入るるに当たり――。
[#ここで字下げ終わり]
うんぬんと書きつらね、同時に、おなじ紙の末尾より文を起こし、最初の文字の行と行のあいだへ、左から右へ読まして……。
[#ここから2字下げ]
一、火は大わかし小わかしのことにて候。
そは、はじめに地鉄《じがね》を積《つ》むとき――。
[#ここで字下げ終わり]
と、ここに、この一|狭紙《きょうし》に、水火両様の奥伝をしたためて、のち此紙《これ》を真ん中から二つに裂き、水の条からはじまる最初の一片と、火のくだりを説いてある後半の別紙と、おのおの別に切り離して世に残すことにしたのだった。
そのとき孫六。
やまいを得るまえに最近仕上げた陣太刀づくりの大小を手にとり赤銅にむら雲の彫《ほり》をした刀の柄をはずして、その中心《なかご》に後半の火密《かみつ》を巻きこめ、おなじく上り竜をほった脇差のつかの中に前片|水秘《すいひ》の部を
前へ
次へ
全379ページ中332ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング