るから、このものの口ききで田原町《たわらまち》三丁目喜左衛門の店に寺小屋を開いて、ほそぼそながらもその日のけむりを立てることになったが……。
 妻おさよとのあいだに、もう年ごろの娘があってお艶という。
 どうか一日も早く婿養子をとり、それに主取りをさせて和田の家を興《おこ》したいと、明けくれ老夫婦が語りあっているうちに、宗右衛門はどっと仮りそめの床についたのが因《もと》で、おさよお艶をはじめ家主喜左衛門やかじ[#「かじ」に傍点]富が、医者よ薬よとさわいだかいもなく、夢のようにこの世を去ったのであった。
 あら浪の浮き世に取りのこされた母娘《おやこ》ふたり。涙にひたることも長くはゆるされなかった。明日からの生計《くらし》の途《みち》が眼のまえにせまっている。老母おさよは、ちょうどその時下女を探していた本所法恩寺の旗本鈴川源十郎方へ、喜左衛門とかじ[#「かじ」に傍点]富が請人《うけにん》になって奉公に上がり、ひとりになったお艶のところへ喜左衛門が持ちこんできたのが、この三社前の水茶屋当り矢の出物であった。
 武士の娘が茶屋女に――とは思ったが、それも時世《ときよ》時節《じせつ》でしかたがないとあきらめたお艶は、田原町の喜左衛門からこうして毎日三社前に通っているのである。
 世話にくだけた風俗が、持って生まれた容姿《かおかたち》をひとしお引き立たせて、まだ店も出してまもないのに、当り矢のお艶といえばもう浅草で知らないものはない。
 世が世ならば……思うにつけはやればはやるほど気のふさぐお艶だった。
 ところへ、また――。
 人の親切ほどあてにならないものはない。
 あれほど親身に親子の面倒を見てくれたかじ[#「かじ」に傍点]富が、それも今から思えば何かためにしようの肚《はら》だったらしいがこのごろ、その時どきに用立てた金を通算して、大枚五十両というものを矢のように催促[#「催促」は底本では「催足」]してくるのである。
 あと月のある日、観音詣りの帰りに立ち寄ってから毎日かかさず来てくれる栄三郎へ、お艶はふとこの心にあまる辛苦をうちあけると、栄三郎は二つ返事で五十両の金策に飛び出したのだが――。
 まだ帰ってこない。
「申しわけございません。はじめからお金をねだるようで、はしたない茶屋女とおぼしめしましょうが」
 ほっ[#「ほっ」に傍点]と深い吐息がお艶の口から洩れた。


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