太郎は、豆太郎として。
 今宵は。
 得印兼光のほうから口をひらいて、はじめてここに、われとおのれに誓った秘命のすべてを語り出そうとしている。
 夜に入っていっそうの寂寞《せきばく》。
 兼光の一言一語をも洩らさじと耳を傾ける弥生の顔に、大きなおどろきが、波紋のようにみるみる拡がっていくのだった。
 して、その、世をしのぶ老士得印兼光なる主の物語というのは? はなしは、文明《ぶんめい》より永正《えいしょう》にかけてのむかしにかえる。

 火事装束五梃駕籠の頭首《とうしゅ》、世をしのぶ老士得印兼光の物語は。
 文明《ぶんめい》より永正《えいしょう》にかけての昔――。
 当時|美濃《みのの》国に、刀鍛冶の名家として並ぶ者なき上手《じょうず》とうたわれたのが、和泉守兼定《いずみのかみかねさだ》であった。
 すべて業物《わざもの》打ちは、実と用とともに品位を尊ぶ。
 この和泉守の太刀姿は、地鉄《じがね》こまやかに剛《つよ》く冴えて、匂いも深く、若い風情のなかに大みだれには美濃風《みのふう》に備前の模様を兼ねたおもむきがあり、そのころまず上作の部に置かれていたという。
 美濃の国、関の里。
 世に関の七流というのは、善定《ぜんじょう》兼吉、奈良太郎兼常、徳永兼宣、三|阿弥《あみ》兼高、得印兼久、良兼母、室屋兼任――この七人の末葉《まつよう》、美濃越前をはじめとして、五|畿《き》七|道《どう》にその数およそ千百相に別れ、みな兼の字を冒して七流の面影を伝えたのだったが――。
 関《せき》の孫《まご》六と号した兼元《かねもと》も、この和泉《いずみ》の一家であった。
 孫六は、業物《わざもの》の作者である。
 かれの鍛《う》つところの刀は、にえ[#「にえ」に傍点]至って細く、三杉の小亀文《みだれ》が多くまたすずやき[#「すずやき」に傍点]もあり、ことにその二代兼元なる関の孫六となると、新刀最上々の大業物《おおわざもの》として世にきこえているが、関の新刀になってからはだいぶん位が落ちたけれど、初世孫六のころの関一派の繁栄はじつに空前絶後ともいうべきで、輩出した名工また数かぎりもないうちに、なかでも志津三郎兼氏、兼重、兼定、兼元、兼清、兼吉、初代兼光はすぐれての上手《じょうず》、兼永、兼友、兼行、兼則、兼久、兼貞、兼白、兼重などもすべて上手ということになっている。なべて、美濃物《みのもの
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