れたか……というに、べつにそうしたこともなく、丸にワの字の出羽様の極印も両人とも知らぬが仏で、世のつねの小判のように、おさよはそのまま五十両を数え終わって、ちょっと改まって源十郎へ向きなおった。
「はい。たしかに五十枚。まことにありがとうございました。これでどうやらお艶の身の振り方もつき、またわたしもこの年になって安|楽《らく》ができ、いわばわたしども母娘《おやこ》の出世の――いとぐちと申すべきもの、では、これからさっそく参りまして……」
「ア、そうしてもらいたい」
 源十郎は上々機嫌だ。
「なに、財布がない。では、これを持っていかれるがよい」
 と、これが世にいう運のつきであろうとは後になって思い合わされたところで、この時は源十郎お艶ほしさの一念でいっぱいだから後日の証拠のなんのということはいっこうに心が働かない。ごく気軽に自分の財布を取り出して内容をはたき、これに件《くだん》の五十金を入れておさよに渡すと、おさよは大切に昼夜帯《はらあわせ》のあいだへしまいこんで、
「じゃ、一っ走り――」
 起とうとするところを、ちょいとおさえた源十郎、
「何の中でも、当節《とうせつ》五十両といえばまず大金の部である。こころおぼえのために栄三郎から離縁状を取って戻るまで、受取りをひとつ書いてもらいたいものだが……」
 もっともと思ったおさよが、そこで、筆紙と硯を借りて文面は源十郎の言うとおり――。まず差入れ申す一札のこと……と、書きはじめて、やっと筆をおいた。その文言はこうだった。
[#ここから2字下げ]
差入れ申す一札のこと
[#ここから3字下げ]
一金五十両也。上記のとおり確かにお受取り申し候。娘艶儀、御前様へ生涯《しょうがい》抱切《かかえき》りお妾に差上げ申し候ところ実証なり。婿栄三郎方は右金子をもって私引き受け毛頭|違背《いはい》無御座候。為後日証文|依而如件《よってくだんのごとし》。
 享保四年四月十一日。
[#ここから23字下げ]
艶母    さよ
[#ここから3字下げ]
鈴川源十郎様
 御用人衆様
[#ここで字下げ終わり]
 この誓文《せいもん》を書き残したおさよは源十郎が棟梁伊兵衛を殺して奪った金……内いくらかは松平出羽守お作事方の払い金と、大部分はたらぬとはいい条、現在むすめお艶が羽織に身売りしたその代とを〆《し》めて五十になる。それを持ってイソイソと本所の鈴川
前へ 次へ
全379ページ中312ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング