のだったが、こんや[#「こんや」に傍点]という今夜、はからずも芸者姿のお艶を見て、これだけでさえ、いよいよ栄三郎に彼女を思いきらせるに十分だったところへ、まるで見せつけのような男との痴話ぐるい――栄三郎は、あの、二階の障子に黒く大きく写り出た男女の影によって、ここに初めて長夜の夢からさめたような気がしたのだった。
やはり、当り矢のお艶は当り矢のお艶だけのもの。男をたらす稼業の水茶屋女が、それに輪をかけた芸者になったとてなんの不思議があろう?……こう思うと、栄三郎は、影の相手の男が誰であろうと、そんなことはもうどうでもよかった。
ただ豁然《かつぜん》とあらゆる未練をたった彼、おのが心身の全部を挙げて乾坤二刀の争奪につくそうと、あらたなる闘魂剣意にしんそこからふるい起ったままであった。
忘れかけていた小野塚鉄斎直伝神変夢想流の覇気、これによみがえった栄三郎は、もはやこの日ごろの栄三郎ではなく、ふたたび昔日、根岸あけぼのの里の道場に雄《ゆう》を唱えた弱冠の剣剛諏訪栄三郎であった。
今やかれの前にお艶なく、われなく、世なく――在るはただ亡師の恩と高鳴る戦志の血のみ。
かくてこそ、これからなお雲竜の刀陣に介《かい》して、更生の栄三郎が思うさま神変夢想の秘義を示し得るわけ……だが?
お艶はどうした?
彼女は、首すじに毛虫を這わせるおもいで鍛冶富になれなれしくして酒をすすめたのち、泰軒と栄三郎の立ち去ったのを見すますが早いか、ただちにその家の若い衆を走らせて泰軒だけを呼び戻しいそぎ二階の隣室に左膳の一団が宴を張っていて、いまにも瓦町へ押しかけようとしていることを告げたのだった。
だから、時分はよかろうと、左膳、軍之助の連中が旗亭をあとに、ほんの四、五十歩も踏んだかと思うところへ先ほどから献燈のかげに待ち構えていた栄三郎が、現われると一拍子に、先頭の法勝寺三郎を抜き撃ちにたおしたのだ。
月に更けゆく夜――。
左膳をはじめ月輪組も、栄三郎も無言。
泰軒はどこか近くにひそんでいるのであろう。
遠くで、樹陰から木かげへと大小ふたつの人影が動いた。
ポタリ……夜露が木の葉を打つ音。
寂莫《せきばく》たる深夜――ふかがわ富ヶ岡八幡の社地に、時ならぬ冷光、花林《かりん》のごとく咲きつらなったのは丹下左膳、月輪軍之助、各務房之丞、山東平七郎、轟玄八、岡崎兵衛、藤堂粂
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