とく、他は地を這うように、たちまち消え失せたと見るや、栄三郎は、追いかけようとした身の構えをくずして家内へはいった。
飯のふきこぼれるにおい。
泰軒の大声。
「うわアッ! いま沢庵《たくあん》を切っとって手が離されん。早く、その、釜のふたをとってくれ」
帰るやいなや、栄三郎も手伝って、ふたりの男がてんてこまいを演じたのち、ようように小豆も煮えて、どうやら赤の御飯らしいものができあがる。
台所道具から夜具蒲団まで勝手放題に取り散らかした真ん中で、両人さっそく夕餉《ゆうげ》の膳に向かう。
くらい行燈の灯かげ……。
無言のうちに箸をとる。
ふと栄三郎が気がつくと、むこう側の泰軒正座して眼をつぶり、しきりに何かを念じているようす。
ははあ、今宵は心祝いがあるといって小豆めしを炊いた、それを祈っているのであろう――とは思ったが、栄三郎は聞きもしなかったし、泰軒もまた黙ったまますぐ食事にかかった。栄三郎がこの赤の御飯を食べさえすれば、かれが知る識らぬにかかわらず、やがては身ふたつになる、お艶への前祝いと観じて、泰軒はそれでこころから満足しているのだった。
だんまりをつづけて食事がすむ。あと片づけは栄三郎の役目。
泰軒は手枕、ゴロリとそこに横になった。
そして、栄三郎が水口で皿小鉢を洗う音をウツラウツラと聞きながら、ひとり何ごとか思いめぐらしている。
しいんと世間はしずまりかえって夜の呼吸が秘めやかに忍びよってきていた。
蒲生泰軒……。
かれは、かの殺生道中|血筆帳《けっぴつちょう》をふところに北州の旅から帰って、この瓦町の栄三郎方にわらじの紐をとき、そうして血筆帳を示してすべてを物語ったのち、相馬藩月輪一刀流の剣軍が江戸へはいって、いま本所の化物屋敷に根城《ねじろ》を置いているから、近く左膳を頭に彼らの一味が来襲するに相違ないといましめて、いまだに放れ駒のように、恋と義にはさまれて心の拠りどころなく苦しんでいた栄三郎に緊褌《きんこん》一番、一大奮励をうながしたのだった。
と同時に。
敵の眼をくらましてその裏をかく方便として、泰軒が栄三郎にすすめたのが、この、風流べに絵売りの変装であった。
泰軒が味噌をすれば、栄三郎が米をとぐ。栄三郎が水を汲めば泰軒先生が箒を手にする。が、居候《いそうろう》四角な部屋を丸く掃き――掃除というのも名ばかり型ばかりで
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