》なつくりの夢八姐さん。
 お座敷帰りとも見える姿で、ちょうど忌中《きちゅう》の札をかけて大混雑中の棟梁方の格子戸をくぐろうとした時だ。
 ちらとかなたの町を見やったお艶片足を土間に思わずハッといすくんだのだった。
 べに絵売りの若い男がひとり、朝風に絵紙をはためかして歩いてゆく……江戸街上なごやかな風景。

  影芝居《かげしばい》

「栄三郎どのか、ちょうどよいところへ戻られたナ。あがらんうちに、その足で小豆《あずき》をすこし買《こ》うて来てもらいたい」
 野太い泰軒の声が、まっくらな家の奥からぶつけるようにひびいてくる。
「あずき……」
 と思わずきき返して、いま帰って来た栄三郎は、背にした荷を敷居ぎわにおろした。
 浮き世のうら――とでもいいたい瓦町の露地裏、諏訪《すわ》栄三郎が佗び住居。
 お艶《つや》と泰軒が大岡様のもとにかち[#「かち」に傍点]合って、そして日本橋で別れた、その日の夕刻である。
 今夜もまた灯油《あぶら》が切れたのか、もうすっかり暗くなっているのにまだ灯もつけずに、泰軒は例によって万年床から頭だけもたげているものとみえて、何だか低いところから声がしている。
 ……小豆をすこし買ってこいというのだ。栄三郎は、手探りでべに絵の木箱をおろすと、もう一度のぞきこんでたずねてみた。
「小豆を――? もとめて参るはいとやすいが、なんのための小豆でござる?」
 すると泰軒、暗いなかでクックッ笑い出した。
「アハハハ、知れたこと、赤飯をたくのだ」
「赤飯を? 何をまた思い出されて……しかし、蒸籠《せいろう》もなく、赤飯はむりでござろう?」
「なに、赤飯と申したところで強飯《こわめし》ではない。ただの赤いめしじゃ。小豆を入れてナ」
「ほう!」
 と軽く驚いた土間の栄三郎と家の中の泰軒とのあいだに、闇黒《やみ》を通して問答がつづいてゆく。
「ホホウ! 泰軒どのが小豆飯を御所望とは、何かお心祝いの儀でもござってか――?」
「さればサ、ほんのわし個人の悦びごとを思い出しましてな、あんたとともに赤飯を祝いとうなったのじゃ。お嫌いでなければつきあっていただきたい。きょうのべに絵の売上金のなかから小豆少量、奮発《ふんぱつ》めされ! 奮発めされ! わっはっはっは」
「いやどうも、細い儲けを割くのは苦しゅうござるが、ほかならぬ先生の御無心……」
 と栄三郎も、戯談《じょ
前へ 次へ
全379ページ中284ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング