さまざまのよからぬ風情《ふうじょう》も聞き、家事不取締りの条も数々あって、それらをもってしても容易におさえることはできたのに!
 事実、博奕《ばくち》の罪科のみでも彼奴《きゃつ》をひったて得たではないか。
 それなのに自分は――まだまだ、もう少し現に先方から法に触れてくるまで……手をこまぬいて待っているうちに、暴状ついに無辜《むこ》の行人におよんで、あったら好爺を刀下の鬼と化さしてしまった。伊兵衛にすまぬ!
 この忠相が、手を下さずして殺したようなものとも、いえばいえようも知れぬ。
 アアア、手おちであった……とおのれを責めるにやぶさかならぬ忠相が、ひとり心の隅々を厳正のひかりに照査して、すこしなりとも陰影を投げるわだかまりに対しては、どこまでも自らを叱って法道のまえに頭を垂れ、悔いおののいていると、
 この、粛然《しゅくぜん》襟を正すべき名奉行の貴い悶《もだ》えもしらずに、忠相の足もとに嬉々《きき》としてたわむれる愛犬の黒犬。
「黒か、わしは馬鹿じゃったよ。大馬鹿じゃったよ。おかげで人ひとり刀の錆《さび》にして果てた。なア、そうではないか」
 黒は、喜ばしげに振り仰いで……ワン!
「おお、そちもそう思うか」
 わん! ウアン、ウウウわん!
「はははは、おれをののしるか? うん、もっともっと罵倒するがよい!――奉行いたずらに賢人ぶるにおいては……ううむ! いや、たしかにわしの過失であった」
 と忠相は、ただ一工人の死がそれほど心を悩まし、さかのぼってまで彼の責任をたたかずにはおかないのか――? 傍で見る眼もいたいたしいほど苦しんでいるのだ。
 ほとんど瑕《きず》とはいえないほどの微小な瑕ですらも、それがおのれのうちにあるごとく感じられる以上、どこまでも自己を追究して、打ち返し築きなおさずにはいられない大岡忠相であった。
 いささかも自分と、じぶんの職責をゆるがせにできない冷刃のような判別、それをいま忠相はわれとわが身に加えているのだった。
 市井匹夫《しせいひっぷ》のいのちにかくまでも思いわずらう名奉行の誠心……これこそは人間至美のこころのすがたであると言わねばなるまい。
 忠相の忠相、越前の越前たるゆえん、またこれをおいて他になかった。
「これヨ黒! 貴様に弁当を分けてやりおった伊兵衛の仇は、この忠相には、すでに鏡にかけて見るがごとく知れておる。安堵せい。近く白
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