といって、一に本朝剣法の精極手字《せいきょくしゅじ》の則《そく》に出ている。手字《しゅじ》とは、空理《くうり》に敵の太刀や槍の位を見きわめて、その空理に事をかなえて我が道具を持ち、打たねども打つこと、突かねども突くわざ、払わねども払うことを、定住《じょうじゅう》空理に入れて働くをいい、敵の太刀筋の字を空に書く心もちだとある。
 こうなると、この手字の手のうちから出る剣だから手裏剣と称するわけで、いかさま剣道の妙諦《みょうたい》、ひどく禅機を帯びてむずかしくなるしだいだが、手裏剣すなわち神妙剣、あえて特に、長さ三、四寸の小剣を手のうちに返して投げ打つ術をのみ手裏剣と呼ぶのではない。手を放さずに使う太刀や槍も同じ道理で、いくら投剣の術ばかり修練したところで要は手字の空理に即してうちこむにある。しかしてその空理の徳は、人の頭に機を知らしめて逸《いち》早くきざすの一事につきる――と言われているだけあって、これによってもわかるとおりに、手裏剣を投げて人をたおし得るにいたるまでには、単なる小手さきの投術のみではいけない。もとよりその熟達はさることながら、技はいわば下々の下で、体得の域にのぼるためには、空理の理にあって手字の法を覚らねばならぬ。つまり行より心ができて剣意の秘奥《ひおう》にかなわなければ、手裏剣を投じて一家をなすことは不可能なのだ。
 しかるに、ただいまのかの投げ手は……?
 腥風《せいふう》一陣まき起こって、とっさに二つの命の灯を吹き消し去った手練でも知れるように、魔か魑魅《ちみ》か、きゃつよほど、腕と腹ふたつながらに完璧の巧者に相違ない。
 身みずから剣心をこころとする刃怪左膳だけに、かれは相手を測《はか》り知ることもまた早かった。
「世の中は広いものだなあ……ウウム! かかる名人がひそんでいたのか」
 と、今さらながら敵味方を越えて、左膳はしんから微笑みたい気にもなるのだったが! 二度、
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御身ら二十名は順次にわが手裏剣の的《まと》也。
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 という脅迫の文を読み返すと、なんとなく左膳、いずれ近い機会に、おのが左剣とこの手裏剣とちょうちょう火花を散らして相撃つべくさだめられているように思って来て、彼は、ほの暗い行燈のかげに一眼のきらめく顔を、敵意と憎悪に燃えたたして振りあげた。
 この左膳の気を窺知《きち》したものか
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