、御身分お人柄その他なにから何までまことにお似合いの内裏雛《だいりびな》……こちらのような水茶屋女なぞどうなっても、お艶は栄さまを生命かけてお慕い申せばこそ、その栄三郎さまの栄達、しあわせにまさるお艶のよろこびはござりませぬ。
 ただ、この身が種をまきながら、こうして栄さまをひとりじめにしていては四方八方すまぬところだらけ――今日様《こんにちさま》に申しわけなく、そら恐ろしいとでもいいたいような。
 自分さえなければ万事《よろず》まるく納まりそう。
 得るも恋なら、退くも恋。
 いつぞやの夜、ともに泣いた弥生さまの涙を察するにつけても、あきもあかれもせぬ栄三郎様ではあるが、ここはひとつあいそづかしをして嫌われるのが第一……。
 それが何よりも栄さまのおため。
 つぎに、お刀と弥生様への義理。
 また、ひいては江戸のおなごの心意気、浮き世の情道でもあると、こうかたく胸底に誓ったお艶、うしろ姿に手を合わせながらさんざん不貞《ふて》くされを見せたあげく、ああしたいい争いの末、とうとう若いひたむきな栄三郎を怒らせたものの、それだけまたお艶の心中は煮え湯を飲まされるよりつらかったことでしょう。
 栄三郎様はこのお艶の心変りを真《ま》にとって、ああア、さても長らく悪い夢を見た――と嘆いていられるに相違ないが……と考えると、弱いこころを義理でかためて鬼にしたお艶であったが、ともすれば気がにぶって、できるものなら詫《わ》びを入れて元もとどおりにとくじけかかるのを自ら叱って、栄三郎が出ていったあと、来合わせた蒲生泰軒にすべてを打ち明け、今後の身の振り方を頼んだのだった。
 黙然《もくねん》、松の木のような腕を組んで聞いていた泰軒の眼から、大粒の涙がホロリと膝を濡らすと、かれはあわてて握りこぶしでこすって横を向いてすぐ大声に笑い出した。頬髯《ほおひげ》が浪をうって、泰軒はいつまでも泣くような哄笑をつづけていた。
 そして最後に、
「いや。それもおもしろかろう。さすがは栄三郎殿がうちこむほどの女だけあって、お艶どの、あんたは見あげた心がけじゃ。この上は栄三郎殿も力のすべてを刀へ向けて必ずや近く乾雲を奪還することであろうが、さ、そうなった日にはまたあらためて相談、決してこの泰軒が悪いようにはせぬ。きっとそちこちあんたの身の立つようにまとめて見せるから、いわばここしばらくの辛抱《しんぼう》…
前へ 次へ
全379ページ中198ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング