り》した伊助、飛んで行ってお藤を抱き起し、いろいろと問い糺《ただ》してみたものの、ただ、
「口惜《くや》しい、くやしいッ!」
 と泣くだけで、お藤は何とも答えなかった。
 女房思いで気の弱い伊助が、途方に暮れておろおろ[#「おろおろ」に傍点]しているところへ、間もなく、小間物屋亀安の番頭が、頭から湯気を立てて、豪《えら》い権幕《けんまく》で乗り込んで来た。
 此家《こちら》のお内儀かは存じませんが、それ、そこにいる御新造――とお藤を指して――が、私どもの店で、二十五両もする平珊瑚の細工物を万引《ちょろま》かしたから、今この場で、品物を返すか、それとも耳を揃えて代金を払ってくれればよし、さもなければ、出るところへ出て話を付けて貰おう、それまではこのとおり、店頭へ据わり込んで動かないという言分。煎餅どころじゃない。瓦屋の一家――といっても夫婦二人だが――とんでもない騒動になった。
 正直一徹の伊助が、発狂するほど驚いたことは言うまでもない。お藤は、それでも、泣きながら首を振って、あくまでも身に覚えのないことを主張《いいは》ったが、番頭はいよいよ権《かさ》にかかる一方、お藤はよよ[#「よよ」に傍点]と哭き崩れる。その間に立って気も顛倒《てんとう》した伊助、この時思い付いたのが、証拠の有無という重大な一事であった。
「ねえ親分。」と伊助は三次のほうへ膝を進めて、「しが[#「しが」に傍点]ない渡世こそしているものの、他人《ひと》に背後指《うしろゆび》差されたことのないあっし[#「あっし」に傍点]、夫の口から言うのも異なものだが、彼女《あれ》とても同じこと、あいつにかぎってそんな大それたことをするはずは毛頭ありません。こりゃあ何かの間違えだ。いくら先様が大分限《だいぶげん》でもみすみす濡衣《ぬれぎぬ》を被《き》せられて泣寝入り――じゃあない、突出されだ、その突出されをされるわきゃあない、とこうあっし[#「あっし」に傍点]は思いましたから――。」
 ぽん[#「ぽん」に傍点]と吐月峯《はいふき》を叩いた三次、
「だが伊助どん、待ちねえよ。ただの難癖言掛《なんくせいいがか》りじゃすまねえことを、そうやって担ぎ込んで来るからにゃあ、先方《むこう》にだってしかとした証拠ってものがあろうはず。」
「へえ。あっしもそこを突っ込みやしたが。」
「何ですかえ、その亀安の番頭は、お藤さんが珊瑚《さ
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