ぱちくり」に傍点]させて空唾《からつば》を呑んだ。
 老人は町奉行池田播磨守手付の用人伴市太郎という人で、堀家の夜明しの碁会から独り早帰りする途中だったから、さっそく堀邸内の一間を借りて侍を入れておき、審《しら》べの順序だから取急ぎ吟味与力《ぎんみよりき》の出張を求めた。
 元治元年三月二十七日筑波山に立籠った武田耕雲斎《たけだこううんさい》の天狗党《てんぐとう》が同年四月三日日光に向う砌《みぎ》り、途中から脱走して江戸へ紛れ込んだのが、この袈裟がけの辻斬人水戸浪士の伊丹大之進であった。世に在るうちは国許藩中において中小姓まで勤め上げて五人|扶持《ぶち》を食んでいたが、女色のことで主家を浪々して早くから江戸本所割下水《えどほんじょわりげすい》に住んでいた。前髪が取れるか取れないに女出入で飛び出すくらいだから、この大之進性来無頼の質《たち》だったに相違ない。これが、御老中お声掛り武州《ぶしゅう》清久《きよく》の人戸崎熊太郎、当時俗に駿河台の老先生と呼ばれていた大師匠について神道無念流の奥儀をきわめたのだからたまらない。無念流は神道流の別派で正流を天心正伝神道流と言い、下総《しもうさ》香取
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