屋惣七が、ひとりで資金《もときん》の全部を持ったわけではない。半分出したのだ。あとの半金は、東兵衛がじぶんでかきあつめて、みずから具足屋を経営すべく、具足屋東兵衛となって、掛川の宿へ移り住んだのだ。
 具足屋は、もとの脇本陣の地所を買って、すっかり建て前をあたらしくしたものだ。木口をえらび、建て具や調度にも、若松屋惣七も東兵衛も、かなり贅沢をいった。ことに、庭を凝った。大きいことも大きいし、掛川の具足屋ほどの旅籠は、東海道すじの本陣脇本陣を通じてあんまりあるまいという、これは何も、若松屋惣七と東兵衛の自慢だけではなかったのだ。定評だったのだ。
 この、万事金に糸目《いとめ》をつけないやり方で、最初の利がかえるまで、三年もとうというのだから、骨だ。若松屋惣七も、許す限りの才覚をして、江戸から応援したのだが、むだだ。焼け石に水というやつだ。
 諸費《ものいり》はかさむいっぽうで、こうなると、第一、毎日のものを入れている商人たちが不安になってくる。黙っていない。大挙して、具足屋東兵衛に膝詰め談判をした。たった今払いをしてくれなければ、もうつけがけ[#「つけがけ」に傍点]で仕込みをしてもらうこ
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