みと呼吸した。
 見慣れた若松屋の門が見えてくると、たまらないなつかしい気が、ぐんぐんと胸へこみ上げてきた。それは久しく遠国に旅をしていた人が、何年ぶりかにわが家へ帰って来て、出発のときと変わらない門口の模様を発見したときの、あの妙に白っぽい、不思議な昂奮《こうふん》に似ていた。お高は、大声をあげて泣きたかった。大声をあげて笑いたかった。両方だった。
 が、何となく面はゆくて、いつもの内玄関からははいれなかった。で、裏へまわった。ひっそりしていた。佐吉や国平も滝蔵も、そこらに姿を見せないのだ。御飯でもいただいているのかしら。お高は、そう思った。もしそうだったら、下男部屋の前を通るときに、そっと三人に、旦那様のごきげんをきいてから奥へ通ったほうがいいと思った。
 けさあんなことがあって、じぶんは磯五につれられて出て行ったのだから、どんなに気もちをわるくしていらっしゃるかもしれない。きっといつもの倍も三倍もむりをいって、わたしをいじめなさるに相違ないのだ――お高は、早くそういう惣七を見て、思いきりむりをいわれてみたい気がした。いじめられてみたいと思った。
 なみだが、お高の眼をくもらせて、
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