。
四
「さすがおわかりが早い。恐れ入った御挨拶で――」
若松屋惣七は、手をおろして、取ろうとした。その手を、磯五が押さえた。
「お待ちください」
「はて!」
「若松屋さんはおわかりくだすったが」と、磯五は、あらためてお高のほうへ、「お前はどうだ。お前もわたしの話がわかってくれたろうな」
「知りませぬ」
きっぱりいい放って、お高は、高いところへ上がったように、眼がくらむ感じがした。若松屋惣七には、お高は、三年ぶりに別れていた良人に会っても、何の感情もないもののように感じられた。憎しみも恨みもないようすなのだ。磯五に対する限り、お高のこころは死灰《しかい》のようになっているのであろうか。
それも、むりはない。出て行けがしにしたあげく、有り金をさらって逐電した良人である。こうして再び顔が合ったところでふたりのあいだは、他人以上につめたいのかもしれない――若松屋惣七は、いろいろに考えた。
一枚の証文のうえに、惣七と磯五と、二つの手が重なったまんまだ。
惣七は、ほのあたたかい磯五の手を感じた。白い、やわらかな手だ。はげしい労働や武術を知らない手だが、これは弱いようで、
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