の?」
「――」
お高は、甘えて、惣七を揺すぶった。
「よう、旦那さま、何をそんなに考えていらっしゃる――あ! わかった」
お高は、顔いろをかえて、惣七をふりほどこうとした。惣七は、もう笑顔に返っていた。
「わかったか。わたしはいま、その男にあったときのことを思っておったのだ」
久しく、思い出したこともない落葉返しの構え、その落ち葉のように、かっと散る熱い血しぶき――惣七は、とっさに剣を想ったのだ。忘れていた刃《やいば》のにおいが、つうんと惣七の嗅覚《きゅうかく》をついた。
この、はじめて見る惣七に、ぎょっー、としたらしく、お高が、惣七の抱擁《ほうよう》からのがれようと、もがいている時、廊下の跫音《あしおと》が近づいて来た。
惣七も、お高を離した。同時に、縁側に、男衆の佐吉が、うずくまった。若松屋惣七は、不興げな顔を向けた。
「客か」
「へえ。日本橋式部小路《にほんばししきぶこうじ》の太物《ふともの》商、磯屋五兵衛《いそやごへえ》てえお人が、お見えでごぜえます」
「なに、磯五が参った」
ちらと、お高と惣七の眼が、合った。お高は、恐ろしい借金のことを思って、眼に見えてふるえだ
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