、とてもお耳に入れられなかったのでございます。それよりも、気が顛倒《てんとう》して、思案がつかなかったのでございます。まさか、こちら様へ取り立てを頼んでまいろうとは、夢にも考えなかったのでございます。それだけに、びっくり致しました。
磯五は、今までよく親切に、事情《わけ》を聞いて待ってくれましたのでございます。わたくしも、何本となく手紙を書いて、猶予をたのんでやってあるのでございます。でも約束だけで、最初の五両以来、返金することはできなかったのでございます。
きのうあのお手紙を書きましてから、どんなに苦しみましたことでございましょう。麻布十番の馬場やしきの家《うち》は、まだそのままになっておりまして、わたくしもそこにおりますことになっているものでございますから、とにかく手紙だけはそちらへ届けようか、それとも、いっそ死んでしまおうか――とも思いまして一晩じゅう考えあぐみましたが、思い切って死ぬこともできず、こうやって、いま、何もかも、申し上げておりますのでございます――」
若松屋は、無言だ。しずかになると、下男の滝蔵が籾《もみ》をひく臼《うす》の音が風のぐあいで、すぐ近くに聞こえて
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