押し黙って両国橋を渡って米沢町《よねざわちょう》のほうへ行って、それから新地《しんち》へ曲がった。そこのごたごたした横町をはいったところに、鯉《こい》こくで有名な川半《かわはん》という料理屋があった。三人は、若松屋惣七を先に、そこの二階へ上がって行った。
若松屋惣七と相良寛十郎は、何ということもなく、それからそれと話しているだけだった。ただ、相良寛十郎は、相良寛十郎と呼ばれることをいやがって、芸名の日本一太郎で呼んでくれといった。
お高は、食べることもせず、はなしにも口を出さず、このあいだからの気苦労と、進んできたからだのぐあいとで、疲れて見えていた。低い欄干のついている窓の下に、流れるようにつづく雑沓を見おろして、ぼんやりすわっていた。
そのうちに若松屋惣七も日本一太郎も、話材がなくなって口をつぐんでしまった。
「それではこれで失礼をいたします」日本一太郎は、舞台で口上を述べるときのように、四角張って手を突いて、若松屋惣七と、それから自分の娘のお高のほうへも、等分に慇懃《いんぎん》なおじぎをした。「食べ立ちのようで、心苦しゅうございますが、手まえは、舞台がございますので」
そういって、さっさとおりて帰ってしまった。若松屋惣七とお高も、しかたがないので、日本一太郎を送って、川半を出た。出てみると、もう日本一太郎は、あとも見ずに、急ぎ足にすたすた小屋のほうへ歩き去っていた。
若松屋惣七とお高は、途中で駕籠を拾おうということになって、柳原《やなぎはら》の土手を筋違御門《すじちがいごもん》のほうへ歩き出したが、お高は、父が、あまりそっけないので、若松屋惣七に気の毒でならなかった。
若松屋惣七は、平気だった。生まれのいいことを思わせる、押し出しのきく、立派な老人であると日本一太郎のことを思っていた。ただ何となく飽き足らないところがあるような気がして、それは何であろうかと、若松屋惣七は考えていた。しかし、変わった面白い人物であると好い印象を受けていた。
「よい父御《ててご》じゃが、勝手なことをいわせてくれるなら、ちとどうも信じ難い気がする、あの人の態度に、そういうところが見えるというのだ。わしには、あの人はわからんかもしらんが――なぜ本名をきらっておらるるのだろう?」
「どうかしているのでございますよ。昔のことを思い出したくないのでございましょうよ。わたくしなどとも会いたがっておりませんでございますもの」
「ふーむ。柘植家の金のことを知っておって、お前を捜し出そうともせず、今までどこで何をしていたものであろう」
「それはわたくしも、はっきりは存じませんでございます。一空様も木場の親方さんも、誰もご存じないのでございます。父も、何も申しませんのでございます」
「妙なはなしだな。みたところ、さほど金に恬淡《てんたん》たる仁《ひと》のようにも思われぬが――」若松屋惣七は、眉を寄せてつづけた。
「何ゆえお前を人手に渡したか、そこらのところを話したかな?」
「はい。旅から旅へ歩くのに、赤児《あかご》をつれていては、手足まといになるとか――」
「して、お前をもらい受けた男が、相良寛十郎と名乗って、実の父になりすまして死んでいったわけは?」
「そのことは、父は何も申しませんでございます」
「ちとどうもくさい。ようすがおかしい」若松屋惣七は、うめくような声だ。「あの日本一太郎とやら、実の父御ではないかもしれぬ。どうやらわしは食わせもののような気がしてならぬのだ」
「でも」お高の額部《ひたひ》は、おどろきのため白いのだ。「何しにそんな、そんな――それに、一空さまも木場の親方も、わたくしの乳母であったというお婆《ばあ》さんも、みんな一眼見て、あれが実の父の相良寛十郎であるとおっしゃっておいでなのでございます。旦那様、皆がみな、そんな間違いをなさるはずはございませんですよ。あの日本一太郎という手妻《てづま》使いの人は、ほんとにわたくしの父なのでございますよ」
若松屋惣七は、口を固く結んで、何もいわないのだ。
かすんだ眼に異様なひかりがきて、土手をたどる杖が早くなった。片手を引いていたお高は、引かれるような恰好になって、いそいで出て、ならんだ。
二
雑賀屋のおせい様と歌子は、とうに上方へ発足したあとで、若松屋惣七と紙魚亭主人の麦田一八郎もすぐ追いかけて、途中でいっしょになって四人で旅することになっていたのだが、紙魚亭主人は、江戸から九里あまりほどある岩槻藩の大岡兵庫頭《おおおかひょうごのかみ》、二万三千石のお徒士組《かちぐみ》で、なかなかやかましい武士《さむらい》なのだけれど、発句《ほっく》をもてあそんだりして、酔狂なこころで酔狂な服装《なり》をしていることが好きであった。ことに江戸へ出てくると、町人とも宗匠ともつかない、不思
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