議な恰好でぶらぶらしていて、いつまでも岩槻藩へ帰ろうとはしなかった。
おまけに今度は、藩のほうへ暇を願って、若松屋惣七といっしょに東海道を下ってみようと思い立ったのだが、それが許されずに、江戸の兵庫頭の上屋敷から呼び出しがあって、すぐに国表へかえらなければならないことになった。
そこへ持ってきて、若松屋惣七にも、何やかや用事ができてきて予定どおり二人の女のあとを追って旅に出るわけにはいかなくなったので、その旨をしたためた書状を持って、ただちに金剛寺坂から飛脚が飛んで、おせい様と歌子を追いかけた。
途中で、心待ちに若松屋惣七と紙魚亭を待って、約束によって府中のこっちの由井《ゆい》宿で、同じ宿屋に泊まりを重ねていたおせい様と歌子は、その飛脚の文《ふみ》を見ると、歌子というものがついているのだから、女同士でもこころ細いわけではないのだけれど、やはり心ぼそいかつまらないかで、旅をつづける気にならなかったものとみえて、忘れたころになって、ぼんやり江戸へ帰って来ていた。
だまされたような不平な口ぶりで、歌子はそのまま牛込矢来下《うしごめやらいした》の家《うち》へはいるし、おせい様は、下谷《したや》の拝領町屋の雑賀屋へ舞いもどって、いきおいこんで府中の手前まで用もない旅をしたのはどこの人だというような、けろりと莫迦ばかしい顔をして暮らしていた。
が、そのうちに若松屋惣七は、いよいよ掛川で具足屋をやっている龍造寺主計をたずねて、一人で旅に出ることになった。
「あすたとうと思う」
小雨の縁だ。若松屋惣七は、その、うっすらと小雨の吹きこむ縁側にあぐらをかいて足の爪を切りながら、うしろの敷居にしゃがんで障子にもたれていたお高を、ちょっとふり返った。お高は蜘蛛《くも》の巣のような、細い白く光る雨あしをぼんやり見ていた眼を、あわてて伏せた。
お高は、若松屋惣七の屋敷を出て、どこかへ行ってしまうといって雑司ヶ谷の雑賀屋の寮から帰って来たくせに、まだこの金剛寺坂にずるずるべったりに厄介になっているのだ。しかし、もう若松屋の女番頭として、金勘定や帳簿を見ているわけではなく、いわば客分として、若松屋惣七のいうままに、逗留《とうりゅう》しているかたちだった。
お高がこたえないので、若松屋惣七がつづけた。
「一日延ばしに延ばして参ったが、もう延ばせぬ。こんどこそは、行かずばなるまい。龍造寺殿は、あまりに行く行くというて行かぬので怒っておらるるかもしれぬぞ。とにかく、具足屋は立派に芽を吹きました。何から何まで、龍造寺殿のおかげじゃ。繁昌《はんじょう》ぶりを見て、とっくりとお礼を申し上げたいと思う。あすたちます」
お高は、やっといった。
「ごきげんようおいでなされませ」
「ふん。それだけの挨拶か」
「お達者で――」
「ははは、お前も、達者でくらすがよい。いや一年も二年も帰らぬようないいぐさだな。ナニすぐもどって参る」
「ほんとに一年も二年も、お眼にかかりませんつもりでございます。おかえりになりましても高とのことはもうこれきりでございます」
若松屋惣七は、見えない眼をぐっと見ひらいて、お高の顔を探した。
「なぜそんなことをいうのだ」
「なぜでも、もうお眼にかかりませんでございます」
「まだあの磯五のことが気になっているのだな、縁切り状を書いたとか、書かせたとか、磯五からもお前からも聞いたようにおぼえているが、あれは、つくりごとであったのだろう。うう、なに夫婦のあいだのことだ。何を申し合わせて他人をいつわろうと、それはそっちのこと。だまされた他人のおれが、愚かであったよ」
三
袂で顔と泣き声をおおったお高だ。ふらふらとたって、その、惣七の帳場になっている奥の茶室を出て行こうとした。
若松屋惣七の眼が、じろりと光って、お高を追った。
「どうするつもりなのだ」
お高は、手をかけた襖に顔を押し当てて、肩をふるわせてむせび泣いていた。
草をたたく雨の音がしていた。灰いろの重い雲が、庭の立ち樹のすぐ上にあるのだ。近くの枝から枝へ、濡れた鳥の声がするのだ。しいんと遠のいた江戸の巷音《こうおん》だ。はねつるべの音がしていた。その、番傘《ばんがさ》をさして水をくんでいる国平の番傘が、青桐《あおぎり》の幹のあいだに、半分だけ見えていた。
「拝領町屋のおせい様の家へ行って、当分おせい様といっしょにくらす考えでございます。おせい様はお可哀そうでございますよ。おせい様は、ああして歌子さまと旅には出たものの、あきらめ切れないで帰っておいでなすったのでございます」
「あきらめ切れずにと申して、磯五のことか」
「はい。おせい様はまた、あの五兵衛さんのことを想《おも》っていらっしゃるのでございますよ」
「女というものは不思議なものだな。また、かの磯五のごとき男
前へ
次へ
全138ページ中115ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング