とのあいだのこういう非常時に処する彼一流の機敏な考えから、平然といい出していた。
「おめえに隠しておくのはよくねえ。すっぱりいってしまおう。おいらはおめえと夫婦《いっしょ》になるわけにはいかねえのだ」
 そして、女房があるのだと打ち明けると、お駒ちゃんはなかなか信じなかったが、だんだん事実《ほんとう》とわかって身をふるわせて泣き伏してしまった。お駒ちゃんはまじめに磯五のことを思っていたのだ。お駒ちゃんとしては珍しい感情だった。それがこんなことになってもう生きている甲斐《かい》もないといった。
 磯五は、それを慰めるように、梅舎錦之助を持ち出して、その人といっしょになったらいいじゃないかといったが、お駒ちゃんは承知しなかった。磯五は、さらに笑いたいのを押えて、お駒ちゃんの肩にやさしく手を置いた。
「おいらの妹になりすましていたから、その立派なお侍とも近づきになれたんじゃねえか」
「いやだよ。勝手なことをいうもんじゃあないよ。さんざん人を玩具《おもちゃ》にしておいて、きっとこの仕返しをするから――」
 磯五はやっとお駒ちゃんをしずめて、お駒ちゃんが久助の娘であって、したがって磯五の妹でないことは、当分隠しておいたほうが、お駒ちゃんのためにいいだろう。そんなことが知れては梅舎錦之助の手前も面白くないだろうから、まあいつまでもおれの妹になっているがいいと安心させるようにいったが、お駒ちゃんは、そんなことはもうどうでもよかった。きっとこの仕返しをするからと何度もひとり言をつづけていた。
 が、そのうちにうまいように磯五に丸められて、無意識のうちに、お駒ちゃんの悲嘆と怒りがおいおい消えつつあるとき、小僧に案内されてお高がはいって来た。
 磯五は、そのほうがかえっていいと思って、実はこの従妹といっていたのが家内なのだとお駒ちゃんにいった。お駒ちゃんはあきれ返って、かんかんに怒って、お高と磯五にくってかかろうとしたが、磯五になだめられて、しおしお自分の部屋へ帰って行った。
 お高は、磯五が雑司ヶ谷の雑賀屋の寮を出るとすぐ、あとを追うように江戸に帰って来たものに相違なかった。小さな風呂敷《ふろしき》包みを持って、きちんと磯五の前にすわった。磯五は、そのお高をこのうえなく美しいと思った。蒼い顔に、深い眼をしていた。小さな口が、ぬれて、こころもちふるえていた。磯五は、その口の感触を思い出して、狂暴な気もちのうちにはかないものを感じながら、ゆがんだ笑いでいった。
「よく来たな。ずいぶんこっぴどくやっつけやがったぜ」

      四

「お前さまはあのくらいいわなければ性根へ通じませんのですよ」
「御挨拶だな」
「きょう用があって来たのですよ」
「ずっと雑司ヶ谷にいるはずじゃあなかったのか」
「いるはずだって、用があれは出て参りますでございますよ。このことでお眼にかかりに来たのです」
 お高は、手の、小さな風呂敷包みをあけた。それはおせい様が若松屋惣七から資本を取って磯五へまわしたときに、磯五が、おせい様がいらないというのに、堅いところをみせようために、むり押しつけに入れておいた借用|申候《もうしそうろう》一札之事《いっさつのこと》という証文であった。
 そのほか、磯五は、おせい様から大小何口となく金子《きんす》の融通を受けているのだが、そのたびに、おせい様はそんな水くさいことは不用だというのに、自分から進んで、何の仲でもこれだけは別である、きまるところだけはきちん[#「きちん」に傍点]ときまらなければ、乱れて面白くないなんぞといって、借用証文を納めてきたのだった。
 それをそっくりまとめてお高が持って来ているのだから、磯五は、これは何のことであろうと顔色が変わった。
「お前さまの証文をみんな持って来ましたよ。おせい様がわたくしにすっかりお任《まか》せなすったのですよ」
「それでわざわざ持って来てくれたのか。すまなかったな。なに、それには及ばねえのだよ。そんなもの、おせい様の気を悪くしてまで、おれから頼んで入れておいた証文なのだから、反古《ほご》同然なのだ。口をきく証文ではねえのだから――」
「おや、そうですかねえ。でも、見たところ立派な証文でございますよねえ」
「よこせ。破いてしまうのだ」
「いけませんよ」お高は、ちょっと磯五から離れて、証文の束を両手で握りしめた。「おせい様が相手ではありませんよ。わたしが相手なのですよ」
「それはお高、いってえ何のことだ」
「おせい様に代わって、わたしが、あなたにこの証文の片をつけてもらうのですよ。どこへ出しても、誰に見せても、このとおりちゃん[#「ちゃん」に傍点]とした証文でございますからねえ。はっきりした話ではございませんか。これだけおせい様からお前さまへまわしてあるお金を、わたしに返していただきたいのですよ
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