いた。しかしそれは、何だか色悪《いろあく》に引っかかったのがうれしくて泣いているような気がした。泣きながら、磯五とお高がまたいっしょになるだろうかとおもうと、嫉妬が芽ばんでくるのを押え得なかった。
秋のつぎには、冬がくるのだ。そして、それでおしまいなのだ。おせい様の冬には、春が待っていないのだ。おせい様は、また肩をふるわせて泣いた。泣くために泣くような泣き方であった。自分でもそう思って、いっそう激しく泣いた。
二
あくる朝早く、磯五は江戸へ帰った。駕籠が動き出しても、おせい様もお高も顔を見せなかった。磯五はかえって気楽な気もちだった。気楽な気もちは、ほかにも二つあった。一つは、おせい様が、磯屋の商売へ融通した金子《きんす》を忘れてやるといったことであった。これがいちばんうれしかった。もう一つは、おせい様のほうがこうなってしまえば、もう贋《にせ》の妹などはいらないのだから、お駒ちゃんをお払い箱にしていいことであった。
磯五は、軽い心もちではあったが、しゃくにはさわっていた。おせい様をたぶらかしつづけて、もっと金を吐き出させることができたのに、途中から邪魔《じゃま》がはいって計画がこわれたのが残念であった。が、取るものは十分取ったのだし、考えてみれば、惜しくもないおせい様なのだ。磯屋の店は、もう基礎《いしずえ》がしっかりすわっていて、大丈夫だ。
磯五は、駕籠に揺られながら、若い女《もの》のようにはゆかないおせい様のからだを思い出して、きたないお勤めが済んだように、駕籠のそとの地面へぺっぺっと唾《つば》を吐いた。
式部小路の店へ着いて、すぐお駒ちゃんを呼ぼうとしたが、お駒ちゃんは留守であった。先日からお針頭に住みこんでいるおしんが来て、芝《しば》と神田の祭礼で大口の注文があったと告げたので、磯五はますます上きげんになった。
「それでは、いつぞやの染めのこともあるし、私は一両日中に発足して、ちょっと京表のほうへ行って来ようと思うが――」
いっているところへ、お駒ちゃんが帰って来たとみえて、店のほうできいきいいう声が聞こえた。果たしてお駒ちゃんであった。お駒ちゃんは、流行《はやり》の派手な衣裳を着けて、のぼせて、真っ赤な顔をして、磯五のいる奥の小座敷へはいって来た。今までふざけ散らして来たとみえて、眼がうるんで光っていた。
磯五は、苦い顔になって、すぐいった。
「おめえに眼をかけてくださる大家《おおや》の坊っちゃんてえのは誰だ」
「大家なんかと町人みたいにいわれちゃお刀が泣くよ」お駒ちゃんは、威勢よく答えかけたが、気がついて、びっくりした。「おや、いやだねえお前さん、どうしてそんなことを知っているの?」
「どうして知っていようと、大きにお世話だ。何でも知っているのだ。そうか、さむれえか」
「さむれえもさむれえ、梅舎錦之助《うめのやきんのすけ》さまとおっしゃって、れっきとしたお旗本の御次男ですよ」
「芸人みてえな名だな」
「芸人みたいな名でも芸人ではないのですよ」
「部屋住みか」
「部屋住みだっていいのですよ」
「いくら部屋住みでも、料理人《いたまえ》の娘っ子を相手に、色の恋のとぬかしていると知ったら、さぞ喜ぶだろうなあ。おめえは下女奉公か、おででこ芝居にでも出ていりゃあちょうどいいのだ」
お駒ちゃんはたちまち紙のように白くなったが、久助とじぶんとのつながりがすっかり知れているらしいのであきらめて、ただもし磯五がその梅舎錦之助に、お駒が料理番の娘であることをばらすなら、じぶんはおせい様のところへ走って、磯五が、妹でも何でもない自分を妹に仕立てて、おせい様をだましていたことを打ちあけるとおどかすと、磯五が平気で、おせい様とのあいだはもうこわれてしまっているから、そんなことはどうでもいいというので、お駒ちゃんは、泣き出した。
三
お駒ちゃんはうれし泣きに、泪《なみだ》を流しているのだ。梅舎錦之助のことなどはけろりと忘れて、磯五がおせい様と別れれば、あとは自由に、自分といつかの約束どおりにいっしょになれるだろうというのだ。いつ晴れて夫婦になってくれるかとお駒ちゃんは、磯五にきいた。磯五は、笑い出していた。
「お駒ちゃん、おめえはいってえ何をいっているのだ」
「まあ! この人は。あれほどはっきり何度も何度も約束したくせに。その約束で、こういうことになったんじゃないか。まさかお前さんは、今になって白《しら》を切るつもりじゃあないだろうねえ」
お駒ちゃんは、とっさに悲しみに沈んでいた。その悲しみは、女として真剣なものだったので、お駒ちゃんは、急に崇高に見えてきた。磯五は、お駒ちゃんの蒼い顔と、おろおろと開かれた両眼に見入って、そこに避けられない近い将来の紛擾《ふんじょう》を読み取っていた。そして、女
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