った。お由さんは、一人ひとりの子供に、いい聞かせていた。
「門前町で遊んでいてはいけません。道草を食うんではありませんよ。まっすぐお自宅《うち》へ帰るんですよ」
そして、お高へささやいた。
「今夜あたり何がはじまるかわかりませんからねえ」
「和泉屋のことでございますか」
「そうですよ。あたしの来るときなんかも、通り全体がものものしいようすでしたよ」
「和泉屋には、ひとりもお客さんがはいっていませんでしたねえ」
「申し合わせて買いに行かないんですよ。買いに行く人があると、町内よってたかって半殺しにするというんですからねえ」
「まあ、こわい、そんなにむき[#「むき」に傍点]になっていますんですかねえ[#「ですかねえ」は底本では「ですからねえ」]」
「だってあきんどの身になれは、同じ町内にあんな大きな商売|仇《がたき》ができてみると、糊口《みすぎ》が立ってゆくかゆかないかの瀬戸ぎわですもの」
「むりがありませんよねえ」
「どっちへお帰りですか」
「すぐこの裏手の金剛寺坂でございますよ」
「では一度門前町へお出にならなければなりませんねえ。わたしも、門前町を突っ切るのですからそこまでごいっしょに参りましょうよ」
「ええ、ぜひごいっしょに参りましょう」
町が物騒なので、一空さまが、金剛寺門前町を通りすぎるところまで送って行くことになった。三人がおもてへ出ると、楼門《さんもん》の向こうの町すじに、もう群衆がどよめいていた。風はやんだが、夕方が早く、暗くなりかけていた。
わけもなく激昂した人々が、路上に、さっき一足先に帰った仏具屋の若い二人づれを擁して、悪口雑言を沸き立たせているのが、見えた。お由さんは、憤慨して、そっちへ走り出そうとした。
「まあ、何の関係《かかりあい》もない人を何でしょう。ちょっと行って、いってやりましょうよ」
一空さまが、とめた。
「まあま、人は、寄りあうと、理解を失って群れさわぐものじゃ。うっちゃって置きなされ、それより、怪我《けが》せん算段が肝要じゃて」
お由さんは、口をとがらせていた。
「いくら商売に困るからって、先方も商売じゃありませんかねえ。良い品を安く売るのに、邪魔だてをされては、買うほうが困りますよ。ほんとに、あんまりなことをすると、かえって、ついていた人気も離れますよねえ」
「こっちは、良い品物を安く買えたほうがありがたいんでございますもの」
「しかし、この、昔からの金剛寺門前町の商人を、見殺しにするということもできんでの」
「それもそうですけれど、でも、わけのわからないならずもののような人を狩り集めて、通る人に迷惑をかけたりしては、せっかく味方についていた者まで、いやになりますでございますよ」
「とにかく、乱暴を働くのは、間違っておる」
「そんなことを大きな声でおっしゃると聞こえますよ」
話しながら、人を分けて歩いて行った。それはもう文字どおり、かき分けなければならないほどの人ごみになっていた。夕やみの落ちてくる街上に、赤く逆上した顔が、浪《なみ》のようにもみ合いへし[#「へし」に傍点]あいして、押し返していた。あわただしい叫び声が、そこにもここにも揚がった。その中を、男伊達《おとこだて》風の連中が、隊を組んでねり歩いていた。
いつのまにか、ぎっしり往来をうずめて、身うごきもならない人出だ。みんな血走った眼をして、顔じゅうを口にしてわめいているのだ。近くの武家屋敷から警備に出た仲間《ちゅうげん》たちや、御用火消しなどのいかめしい姿が、人浪のあいだにちらほら見えていた。金剛寺の若い学僧たちも、肩をいからして、道ばたに立ちならんでいた。一空さまは、彼らと顔が合うと、大声に笑って、二人の女をまもるようにして歩いて行った。
「餓鬼どもは、事なく通ったろうな」
「ええ。子供ははしっこいから、駈け抜けたでございましょうよ」
そこは、和泉屋の前であった。
多勢で大戸をおろす音が、戦争か何ぞのようにあわただしく聞こえていた。と思うと、一時に恐ろしい叫喚が生まれて、あっというまに、非常な力で、群衆が和泉屋へ殺到しだしたのだ。
それに押されて、お高は、骨が折れるかと思ったとき、つれのふたりが、人ごみに呑まれ去っているのを知った。
群集
一
それは、海の面《も》を風が渡るような速さだ。動乱する人の渦にまきこまれて、一空和尚と、その洗耳房の小母さんと呼ばれている、学童たちの世話をするお由さんとは、すぐに底に没してしまっていた。お高は、和泉屋の店頭《みせさき》へ雪崩れかかる人浪と、それをくいとめようとする火消しや、鳶のあいだにはさまれて、椿《つばき》の花が散り惑うようにほらほらと立ち迷った。口ぐちにわめく声が、地うなりのようにお高を包んだ。
「この金剛寺門前町を他町の者に荒ら
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