も出店があって、これもその一つじゃ。そもそも和泉屋というのは――」
 いいかけたとき、そこは楼門《さんもん》の下だった。一空さまは笑いながら、先に立って門をくぐった。
「まず、洗耳房の餓鬼どもを見てもらおう。はなしは、あとでできる。ははははは、後でゆっくり話しましょう」
 金剛寺内の洗耳房には七、八つから十五、六ぐらいの子供たちが手習いをしたり、読み方をさらったり、口論をしたり、とっ組み合いをしていたり、それはそれは大変な騒ぎであった。一空和尚の庵室なのだが、学房に当てているので、こどもたちのためにすっかり荒らされていた。
 相当広い部屋に、笑い声や叫び声が飛びかわしていた。が、一空さまとお高がはいって行くと、騒動が一時にやんだ。みんな澄ました顔をして、机にむかいだした。ふたりの来たことに気がつかない二、三人の子供だけがいたずらをつづけていた。
 一空さまが、これから、隣室《となり》にできた遊び部屋をひらくから、そこで思う存分あばれるようにいうと、わあっと歓声があがった。そして、雪崩《なだれ》を打って、となり部屋へ駈けこんで行った。お高は、子供好きの龍造寺様がここにいたら、どんなにかよろこぶであろうと思った。そう思いながら、一空さまについて、子供たちにもまれて、その遊び部屋へ出て行った。
 子供たちは、一空さまの両手にぶら下がったり、丸ぐけを引っぱったり、背中によじ登ったりした。一空さまだけでは足らないで、お高にも、前後左右からまつわりついて来た。お高は、からだいっぱいに子供たちが成《な》ったような恰好で、一段低い板の間へおりた。
 そこは、広びろとして、木のにおいのする室《へや》であった。ちょっと剣術の道場のようであった。隅のほうに縁《へり》なしの畳が敷いてあって、すわることもできるようになっていた。窓からとんだりしないように、高いところに頑丈な武者窓があって、うすい陽の光が落ちていた。お高は、この大部分が龍造寺主計の喜捨でできたのだと思うとうれしかった。
 子供たちは、板敷きのうえにがやがや押しならんですわった。みんなすばしこく眼をうごかして、天井と壁と一空さまやお高の顔を、見くらべていた。
 ほかにも、来ている成人《おとな》があった。若い男女と、中年の女の人であった。若い男は、江戸川べりの古い仏具屋の息子《むすこ》で、普段から、一空さまの学房に何かと力を寄せている人だった。若い女は、その許婚《いいなずけ》の女であった。ふたりは、きょうのことを聞いて、子供たちを遊ばせに来たのだった。男が横笛を吹いて、女が、それに合わせて優雅な踊りを踊ったりした。男が、若い者にかつがせて来た菓子包みを、子供たちに配った。
 もう一人の中年の女の人は、やはり一空さまをあがめて、洗耳房に出入りして子供たちの世話をしている、お由《よし》さんという近所のおかみさんだった。お由さんは、しじゅうお高のそばにいて、赤い顔をしてはしゃぎ[#「はしゃぎ」に傍点]まわっている子供たちについて、何くれとなく話してくれた。
 一空さまは、子供たちに取りまかれて、あっちからもこっちからも引っぱられて、にこにこ笑っていた。針のように細い眼がいっそうほそくなって、すっかり見えなくなっていた。
 お高は、その、耳がわんわんする中で、さっき一空さまがいった、父や母のことを考えていた。母のおゆうが、とてつもない分限者であったというのが、どうしても腑に落ちなかった。それかといって、一空さまがふざけているとも思えなかった。人違いではなかろうかと思った。
 母のことは、顔も思い出せないし、何一つ遺品《かたみ》のようなものも残っていないのだ。が、父の相良寛十郎のことは、まるできのうまで生きていた人のように、そっくり思い出すことができるのだ。お高が、その父親の思い出を心のうちにころがしていると、大声にいっている一空さまのことばが、聞こえた。
「この喜捨をしてくれた人は、旅に出ておられんから代わりに、その人にこの洗耳房のことを話してくれた姉さまをお連れした。今その姉さまから、何か話があるから――」
 というのだ。一空さまは、笑って、お高を見た。子供たちも、大声をあげてよろこんで、お高のほうを見ている。お高は、どきまぎしたが、お由さんに促されて、にっこりしていい出した。

      六

「皆さんのお友だちは、龍造寺主計様とおっしゃるおさむらい様でございます。お帰りになりましたら、皆さんがこんなによろこんだことを、すっかりお話し申しましょう。そして、一度おつれして、この立派なお部屋をごらんにいれましょう」
 子供たちの歓声のなかで、お高は赧くなった。これで部屋びらきがすんで、仏具屋の二人も、お高に挨拶して帰って行った。お由さんがめんどうをみて、子供たちも、三々|伍々《ごご》洗耳房を出て行
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