空さまのことばにお高はいよいよ乗り出して、
「どうしてそうあなた様は、父や母のことをごぞんじなのでございますか」
「母者人の柘植ゆうと、生前近しくしておりました」
「親類の方ででもいらっしゃいますか」
「同じ柘植じゃ。遠縁の者です」
「でも、わたくしの顔が、そんなに母に似ておりましょうか」
「似ているとも。そっくりじゃわい」
「わたくしの顔から、母のことを思い出しなすったにしても、はじめ、妙なお顔をなさいましたねえ。いいえ、今でも、妙なお顔をなすっていらっしゃいますよ。どういうわけでございましょうか」
「ははは」一空さまは、へんなぐあいに笑ったきり、黙りこんでしまうのだ。やがて、やっと感情を押えたような、この人には珍しい、低いきまじめな声だ。
「古い思い出は、いつもしめっぽいものじゃて。おゆうさんは、[#「おゆうさんは、」は底本では「おゆうさんは。」]若死にだった」
おゆうというのは、お高の母であった。お高は一度に、小女《こども》のような甘い感傷に包まれていった。
「どうぞ母のことをお聞かせなすってくださいまし」お高は、うつむいていた。「わたくしは、ちっとも覚えておりませんでございます」
「そうであろう。美しかったな。善《よ》い女《ひと》であったぞ。父御《ててご》は、母《かか》さんのことを話されなかったかな」
「いいえ。一度も。母が死にましてから、父は人が変わったのであろうと思いますでございますよ。自暴《やけ》でございました。家は古石場にございましたが、しじゅう江戸を離れて、旅がちでございました。交わる人もございませんでした。ほんとに一人きり――わたくしとふたりきりの、さびしい暮らしでございました」
「いつ亡《な》くなられたかな」
「父でございますか。もう六年になりますでございます」
「あとを困らんようにして、なくなられたであろうな」
禅宗の坊さまが、金のことをいうなど、お高は奇妙に感じた。が、やっとひとり娘の自分がつましく食べてゆけるだけ、それも、どうやらこうやら路頭に迷わないですむ程度だったと答えると、一空さまが、その父の相良寛十郎の遺《のこ》した金はいくらあったかと問いかえしたので、お高は、奇異の思いを深めながら、
「そんなことはよろしいではございませんか。父の残しました家財や地所を、お金に換えまして、しばらく持っておりましてございますが、悪い人のために、そっくりなくしまして、それから、あちこち奉公に出ましたのち、ただいまはこの若松屋様に御厄介になっておりますのでございます」
一空さまは、急に思い出して、たち上がった。
「お、餓鬼どものことを忘れておった。さ、洗耳房へ参ろう。やんちゃども、待ちくたびれておるに相違ない」
三
風のひどい日だ。空がうなっているのだ。樹々は、髪を振り乱して泣き叫んでいる狂女のむれだ。眼に見えないうずまきが、玉のように往来をころがって行って、家々の塀《へい》にぶつかって爆発するのだ。砂けむりが上がっていた。いつのまにか来て江戸をかきまわしているのはこの眼も口もあけない暴風だ。
お高は、夢にいた。親戚《しんせき》のひとり、母方の血縁の人が、みつかったのだ。これは、思いがけないことだ。じぶんには親類はないのだろうとあきらめてはいたが、それでも、あればいいと、この年月ひそかに心にかけて捜していたのだ。それが、わかってみると、隣の慧日山金剛寺の一空さまなのだ。ありがたい、このお人なら、たよりになる。これから何かと相談相手になってもらおう。
しかし、その一空さまが、何か悲しい話を持っていそうなのが、お高を悲しくしていた。父の相良寛十郎と、母のおゆうと、この一空和尚とのあいだの古傷のようなものを、和尚は、隠しているらしいのだ。お高は、一空さまとならんで歩きながら、とりすがるようにして、そのことをきいてみた。
おゆうさんがなくなる前は、わしもしばらく遠のいておったから――一空さまは、そんな答えだったが、お高は、そうして母のことをきくと、一空さまが苦しそうに見えるので、よすことにした。ことによると、母と何かあって、そのためにこの人は、出家なぞなすったのではなかろうかと、気がついた。
だがこの洒々落々《しゃしゃらくらく》とした禅の坊さまと、自分の母とはいえ、一人のおんなとを結びつけて考えるのは、滑稽《こっけい》なようにも思えた。
父については、一空さまもよろこんで話した。ふたりは、楼門《さんもん》からはいっていくために、まっすぐ金剛寺坂をおりて、いちおう金剛寺門前町の大通りへ出ようとしていた。
一空さまが、風のあいだに、いっていた。
「大名のような暮らしをしたであろうがの、あんたと父御《ててご》は」
「どういたしまして」お高は、おどろいた声だ。「なぜでございます」
「ふうむ。つ
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