計を思い出して、また妙に胸がはためいた。
「龍造寺様でございますか。あの方でしたら、東海道の掛川のほうへおいでになりましてございますよ」
「発《た》ったあととあっては、よんどころない。あの金で、餓鬼《がき》どものためにいいものをこしらえてやったので、見てやってもらおうと思ったのじゃが」一空さまは、残念そうな顔をした。「いや、あんたがわしのところを教えたのだそうじゃから、あんたでも同じことだ。全く、ありがたい喜捨であった。あらためて、礼をいう」
 一空さまは、ひとりでつづけた。
「あの金で、洗耳房を建て増ししてな、餓鬼どもの遊び部屋に当てごうたのじゃ」
 餓鬼ども餓鬼どもと一空さまがいうのは、洗耳房へあつまってくる学童たちのことであった。学童たちは七、八つから十五、六の男女のこどもであった。おもに近所の子供らで、武士の子も、町人の子も、職人の児《こ》もあった。一空さまにとって、そういう区別はないのであった。
「きまった遊び場がないと、寺内でふざけまわってどうもそこここを汚損し、庭に出ては木石をいためるので本院の番僧はじめほかの房から苦情が出てかなわん。というて、往来《まち》で遊ばせるのはあぶない。ことに、このごろのように石や瓦《かわら》が飛んで、何どき騒ぎが持ち上がらんともわからんときに、餓鬼どもを道路《みち》で遊ばせておくのは、よろしくないでな。道場のような遊び場を建ててやりました。やんちゃども、大よろこびで、きょうはその部屋びらきじゃ。さわぎをやりおる。見に来られんか」
 石や瓦が飛びそうな騒ぎとは何のことだろうとお高がきいてみると、何でも、金剛寺門前町に、このごろよろず屋というべき米、味噌《みそ》、醤油《しょうゆ》、雑貨から呉服類、草鞋《わらじ》、たばこまでひさぐ大きな店ができたために、従来の町内の小商人が、すっかり客をとられて難渋《なんじゅう》している。が、新店は資《もと》がまわるとみえて、諸式を安く仕入れて売るものだから、とても太刀《たち》打ちはできない。
 そこで生活をおびやかされた土着の商人たちは、新店に対する憎悪と反感で結束して、ならずものなどを雇い今夜にも新店へなぐりこみをかけそうなうわさである。石や瓦の雨どころか、血の雨が降るかもしれないというので、この数日、付近は戦々兢々《せんせんきょうきょう》としている。そんなはなしだった。
「こういうわけじゃから、道路で遊ばせておくことはできん」子供好きの一空さまは、子供のことをいうときだけは、眼を光らせていた。
「そこへおりよく龍造寺どのの喜捨があったので、洗耳房へ遊び場を建て増ししたわけじゃ。あの仁をわしのところへよこしたのは、あんただということじゃから、本人がここに出ておらんならあんたでもよい。ちょっと来て、餓鬼どもがよろこんどるところを見てやってくれんか。それはえらい騒ぎをやりおる」
 お高は洗耳房の子供たちがあたらしい遊び部屋で自由にはねまわっているところを見たい気がした。無邪気な童子のむれに接すれば、こころもちが晴ればれしていいだろうと思った。
「お供させていただきます」
「そうか。すぐ来てくださるか。それはありがたい」
「ちょっと着がえを――」
「いや、そのままでよい」
「いえ、でも帯《おび》だけ――」
 お高は帯を締めかえて出てくると、一空さまは何か考えて待っていたが、はいって来るお高をぼんやり見上げて、夢をみている人のような声できいた。
「あんたは柘植氏《つげうじ》を名乗っておらるるのではないかな。どうも似ておる」

      二

 お高は、びっくりした。
「はい、母方の姓を柘植と申しました。でも似ているとおっしゃいますのは、わたしがどなたかに似ているのでございますか。そういえば、和尚さまも、俗名を柘植様とおっしゃったそうでございますね」
 一空さまは、お高の顔に、改めて眼を凝らしていた。何を考えているのか、その自分の考えていることが信じられないというようすだ。やがて、苦痛の色が、雲のように一空さまの額部《ひたい》を走った。それには、何かはかない思い出を暗示するものがあった。
 お高は、へんに思った。一空さまのそばへ行ってすわった。
「どうなすったのでございます。一空さまは、うちの母をご存じでいらっしゃいますか。何かつながりに、なっていらっしゃるのでございますか」
 一空さまの眼は、恐ろしいものを見てるようにさえ見えるのだ。一空さまが、きいた。
「お父うえのお名は、何といわれたかな」
「父は相良《さがら》と申しましてございます」
 憎悪と恐怖のいろが、一空さまの表情《かお》のうえで一時に交錯したから、お高がいっそうぎょっとしていると、
「相良|寛十郎《かんじゅうろう》どのであろう。存じておる。深川の古石場《ふるいしば》にお住みだったな」
 という一
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