ておるのか」
四
「いえ。ただいまは、小普請《こぶしん》お坊主だとか聞き及びました」
「小普請坊主か。しからば、無役だな」
「はい。無役でございます」
「女にでも食わせてもらっておるのか」
いってしまって、これはすこし残酷だったかな、と若松屋は思った。はたして、お高は、顔を伏せた。べつのことをいいだした。
「いただきますお手当てをためておきまして、月づきなしくずしにでも返してゆきたいと思うのでございますが、でも、二百五十両とまとまりますと、女の腕いっぽんでは、大変でございます。お察しくださいませ」
「それは、察せぬこともないが――」
「はい」
「何とかせねばならぬ。なぜきのう、あの手紙を書いたときに、すぐいわなかったのか」
「申し上げられなかったのでございます」
「ふん。そんな柄《がら》でもあるまいが――」
「申し上げようと思って、申し上げられなかったのでございます」
お高は、眼を閉じた。あふれ出ようとする泪を、押し返そうとしているのだ。が、一粒、澄んだ泪の玉がまぶたの下を破って出て、黒い、長いまつ毛の先に引っかかっている。
「こんなにしていただいていて、そんなこと、とてもお耳に入れられなかったのでございます。それよりも、気が顛倒《てんとう》して、思案がつかなかったのでございます。まさか、こちら様へ取り立てを頼んでまいろうとは、夢にも考えなかったのでございます。それだけに、びっくり致しました。
磯五は、今までよく親切に、事情《わけ》を聞いて待ってくれましたのでございます。わたくしも、何本となく手紙を書いて、猶予をたのんでやってあるのでございます。でも約束だけで、最初の五両以来、返金することはできなかったのでございます。
きのうあのお手紙を書きましてから、どんなに苦しみましたことでございましょう。麻布十番の馬場やしきの家《うち》は、まだそのままになっておりまして、わたくしもそこにおりますことになっているものでございますから、とにかく手紙だけはそちらへ届けようか、それとも、いっそ死んでしまおうか――とも思いまして一晩じゅう考えあぐみましたが、思い切って死ぬこともできず、こうやって、いま、何もかも、申し上げておりますのでございます――」
若松屋は、無言だ。しずかになると、下男の滝蔵が籾《もみ》をひく臼《うす》の音が風のぐあいで、すぐ近くに聞こえてくるのだ。
「旦那様」お高が、あらためて呼びかけた。「わたくしは、ここに三両持っておりますでございます。どうぞこれを、磯五のほうへおまわしくださいまして、あとは、また待ってくれますように、どうぞあなたさまから、磯五のほうへ、おかけあい願えませんでございましょうか」
「馬鹿な!」
若松屋は、唾《つば》を吐《は》くようにいった。
「だめでございましょうか」
「馬鹿な!」若松屋は、笑った。「そんなことをせんでも、そう事がわかれば、その二百五十両は、わたしが払ってやる」
お高は、紅絹《もみ》のように赧《あか》い顔になった。
「いいえ、いいえ、めっそうもない! そんなことをしていただいては、冥加《みょうが》につきます。ほんとに、それだけは、御辞退申し上げます」
「なぜだ」
「なぜと申して、そんなことをしていただこうと思って、お話し申したのではございません」
「それは、わかっている。だから、貸すのだ。暫時《ざんじ》、貸すのだ」
若松屋惣七は、いつのまにか、ほろ苦くほほえんでいた。お高は、あわてて、二度も三度もつづけさまにおじぎをして、やたらに手を振った。
「いえ、もう、それだけは――そのお志だけで、ほんとに、ありがとうございますが、でも、お立て替えくださることだけは、失礼でございますが、お断わり申し上げます」
「ふうむ。それはお高、あまりに他人行儀というものではないか」
「――」
「ははあ、読めたぞ。お前はまだ、そのすてられた男のことを思っているのであろう」
「――」
「これ、お高、そちは、その男のことを思いながら、わたしと、こういうことになったのか」
若松屋惣七は、くちびるを白くしている。お高の顔にも、血の気がないのだ。
五
いきなり、若松屋惣七は、天井へ向かって笑い声をほうり上げた。いつまでも笑っている。いつまでたっても、馬がいななくように笑っているので、お高は、気味がわるくなったが、それでも、ほっとして、鬢《びん》のほつれ毛を指でなで上げた。
「もし、旦那様。わたくしが払いできずに、磯五が訴えましたならば、わたくしは御牢屋《おろうや》へはいらなければならないのでございましょうか。あの、ほかの方《かた》へ、貸金のさいそくを御代筆いたしますごとに、わたくしは、心配やら情けないやらで、死ぬような思いを致しましてございます。
でも、こちら様から督促状が
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