勝手に突っ走って、二年も梨《なし》のつぶてとは、それですむと思っているのか」
お駒ちゃんは、歩いている足もとを見て、微笑した。
「そんなことは、知っていますよ。それだって、父娘《おやこ》の仲だもの、あたいが父《おや》にお礼をいわなくっちゃならないってわけも、なかろうじゃないか。はいはい、苦労をかけてすみませんでしたよ。おわびをしますよ」
「ちっ、何てえいい草だ――」
「だって、お父つぁんもむりじゃあないか。あたいはこの二年間、何とかして身すぎをするのに精いっぱいだったんだからね」
「おめえの辛苦は、心柄というものだ。それより、肝腎《かんじん》のおれのきいたことに返答をするがいい。家を出てから、何をしていたのだ。ちょっと顔出しをするとか、せめていどころぐれえは知らせてもよかりそうなものじゃあねえか。何だってまたわれから家を追ん出たんだ」
二
「うちにいたんじゃあしたいようにできないからさ。おんな歌舞伎《かぶき》のほうに出ていたんだよ」
「やれやれ、あきれたもんだ。おいらも、河原者を娘に持とうたあ思わなかった。こちとらあしが[#「しが」に傍点]ねえ稼業《かぎょう》には相違ねえが、それでも、板の久助といやあ、ちったあ人様に知られもし、可愛がられもしたもんだ。
なあお駒、いつもいうことだが、人間にあ二種あってな、人を使う身と、人様に使われる身と、これあおめえ、はっきり別れているんだぜ。そこがそれ、生まれというもんで、生まれながら人を使う上の方と、生まれながら人様に使われるおれたち風情《ふぜい》と――」
「何をいってるんだい。あたいは人に使われるなんて大きらいさ。性分だからしかたがないじゃないか」
「さ、それ、そのおめえの性分てえのが面白くねえ。まあ聞け、お駒。考えてもみるがいい。人に使われる身よりあ、人を使う身のほうがどんなにいいかしれやしねえと思うだろうが、そこが世の中でな、使われる身のほうが、使う身よりも、なんぼうか気やすで楽なのだ。
いい家《うち》へ奉公をして、御主人様の、気に入られてみねえ、それこそ、面白おかしく日が送れて、またどんないい目をみねえものでもねえ。出世をして、人を使う身になってみたけりゃあ、そこは心がけ一つで思いがけねえ出世をしねえとも限らねえ。
そこへいくと、ことに女子《おなご》は、野郎とは違って、大きに芽を吹くことも早けりゃあ、そのためしも、世間にままあるのだ。おんな氏《うじ》なくして玉の輿《こし》に乗るたあ、そこんところをいったもんだろうじゃあねえか。いい引きがあって、やっと住み込ませてやったあの藁店《わらみせ》の吉田屋さん、あれはおめえ、どうして出たのだ」
久助の話を聞いていると、下女奉公がこの世でいちばんやり甲斐のある仕事であり、出世の最好機会のように聞こえるのだ。お駒ちゃんはそれがおかしくってしようがなかったが、また、お父つぁんとしては、むりもないことだと思った。
自分でもいっているとおり、久助は世の中の人間をかっきり[#「かっきり」に傍点]上下に二大別して、じぶんたちはその下のほうに属するもの、そしてこの区別と所属は絶対不可変のものときめて考えているのだった。それは、使用人の家として続いてきていて、いまこの久助の体内に流れている血のことばであった。
久助にとって、まじめに奉公をして、主人と、朋輩に可愛がられて、いくらか自由のきく晩年を持って飼いつぶしにされるよりほかに、人生はないのだった。それが最大の理想なのだった。他の生き方は、考えることさえもできなかった。だから、自分の家から、人に使われることをきらってこの区別を乱そうとする大それた冒険者がお駒という形で現われたということは、彼には驚異であり、悲嘆でさえあった。
久助はお駒ちゃんを瀬戸物問屋の吉田屋で立派な小間使いに仕立てて、やがて見込みのある番頭とでもいっしょにさせてもらって、自分は老後庖丁を離れてそれにかかろうと思っていたのだ。ところが、お目見得に行っているうちに、何かよくないことをしでかしたとかで、お駒ちゃんは吉田屋をお払い箱になったきり、家へも帰らず、そのままいなくなってしまったのだ。
これは二年前のことで、二年後の今夜、久助が雇われて行っている拝領町屋のおせい様の家へ、おせい様の情夫《いろ》の日本橋の太物商磯屋五兵衛といっしょに、その磯五の妹として御馳走になりに乗りこんで来たのを久助が見ると、それが娘のお駒だった。
吉田屋のことをいい出されると、お駒ちゃんは困ったように笑って、
「だって、お父つぁん、あれはしかたがなかったんだもの。へんなことがあってねえ。他の女中が悪いことをして、あたいに濡れ衣《ぎぬ》をきせたんだよ。あのまたおかみさんという人も、あんまり眼がなさ過ぎるじゃないか。そいつのいうことばっ
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