の骨が牛の骨と、すっかりこんぐらがっているんだってのに。あのおしんてえ女も、どうかしてらあな。おかげでおめえにゃ泣かれる。こんな馬鹿を見たことはねえや」
「それもこれも、みんなお前さんのふだんの心がけがよくないからだよ」お駒ちゃんは、おいおい機嫌がよくなってきたが、それでも、最後に、ちょっとまじめな顔をして、きいた。
「じゃあ何だね、お前さんには女房はないとおいいだね。約束どおりに、あたしといっしょになれるんだねえ」
「そうとも。いつもいっているように、おせい様から取れるものだけとって振り落としてしまえば、あとは、おれとおめえと、な、それをたのしみに、おれもこうやって、あの皺《しわ》づらの御機嫌うかがいに、拝領町屋へお百度をふんでいるんじゃあねえか。ちったあこっちの気も察しろい」
磯五が、お駒ちゃんの肩に手をまわすと、それは、魔術のように作用するようにみえた。お駒ちゃんは、すぐにっこりして、磯五の顔に頬ずりしてきた。磯五は、ちらと顔をしかめた。
「さ、そうわかったら、あっちへ行って、早く着がえをしてくれ。磯五の妹という役をわすれねえで、堅気な服装《なり》をしてくるのだ。おせい様は、もう待っていなさるに相違ねえ。おれも、今夜は何だか気がすすまねえのだが、せっかく招ばれたのに、そろって行かねえと、おせい様が気をわるくするかもしれない。いまおせい様の心もちを損じてならねえことは、おめえも承知のはずじゃあねえか」
それから、まもなく、磯五とお駒ちゃんは、外出着《よそゆき》にきかえて、駕籠《かご》にゆられて下谷の拝領町屋へ出かけて行った。拝領町屋の雑賀屋の寮には、おせい様が、すっかり膳部のしたくをととのえて、今くるか、いま来るかと、いらいらして待っていた。そこへ、磯五とお駒ちゃんが乗りこんで行くと、おせい様は、
「おいでくださらないのかと思いましたよ」
と、恨むようにいって、さっそく二人を奥の座敷へ案内した。そこには、燭台に灯がはいって、もう配膳するばっかりになっていた。おせい様は、得意げに、磯五を見ていった。
「いつかお話ししましたよねえ。あたらしい料理人《いたば》が来て、そのおじいさんは、お料理からお客のほうまで、一人でしないと気に入らないといった――久助《きゅうすけ》というのですよ。ひとつ手腕《うで》を見てやってくださいよ」
縞の着物に、雑賀屋のしるし半纒《ばんてん》を着た、六十近い白髪《しらが》の老爺《ろうや》が腰をかがめて、料理の盆を持ってはいって来た。
それが、いま話に出た久助であった。
宵宴《しょうえん》
一
自分で料理をしてじぶんで給仕までしないと気がすまないという変わり者の久助だ。その久助が、料理の皿《さら》をいろいろと盆にのせて、部屋へはいって来たので、三人は、そっちを見た。
おせい様は、その腕ききの奉公人をあたらしく得たことを誇るように、磯五の顔を見上げて笑った。その笑いは、見ようによっては悲しいようなまたうれしいようなわらいであった。
それは、磯五に対するおせい様の感情を、よく現わしていた。これからこの人と、こうして毎日三度の食膳に向かうようになるのだと思うと、何かよりかかるものができたようで、このごろのおせい様は、行く手の地平線がぽうっとあかるんできているような気がしていた。
このおせい様は、男の腕にやんわり寄りかかって世の中を送るようにできている女なのだ。が、それも、軽くやさしく寄りかかるのだから、男のほうでは、すこしも重荷にならないというタイプである。おせい様は、そういった女だった。
しかし、それは危険なことだ。おせい様のような女は間違いの因《もと》になりやすいのだ。ことに、おせい様の見ている前途の光は、明け方の色ではない。薄暮の浮光《ふこう》である。磯五に向けるおせい様の微笑が、かなしいものに見えるのはそれだった。
ふと気がつくと、ならんで座についているお駒ちゃんが、急に蒼い顔をして落ちつかないようすなので、磯五がお駒ちゃんにきいた。そのあいだ久助は、物慣れた手つきで、三人の膳部へそれぞれ皿を配っていた。
「どうかしたのかい。顔いろがよくないようだが――」
「何ともありません」お駒ちゃんの声は、かすれていた。
「ただすこし寒気がするだけでございます」
「どうぞお一つ」
と、いって、磯五の酒杯《さかずき》に酒を満たそうとしていたおせい様が、この問答にびっくりして、心配そうな表情《かお》をお駒ちゃんへ向けた。
「わたしもさっきからそう思っていたのですが、ほんとにお駒さんは、浮かないようすですねえ。寒気がするのは、いけませんですよ。風邪《かぜ》のはじめでございます。こんな寒い晩にお呼びして、お駒ちゃんに病気になられたりしては、わたくしが困りますでございますよ
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