んにまかせてある、というのだ。
みな信じて、誰も疑うものはないと磯五は思っていた。ただあのお針頭のお市だけは、にこにこしながら、何もかも知っているような気がするのだが、それも、そんな気がするだけで、確かにお市が見やぶっているとは、磯五にもいえないのだ。
しかし、妹を選ぶにあたって、お駒ちゃんを採用したことは間違いであったことは、磯五も気がついていた。
おせい様は、何と思おうと、磯五の口ひとつでどうともなるのだから、そのほうはいいとして、こんなあばずれを妹だなどといって背負いこむようになったのは、第一、あの金剛寺坂の高音がいうことをきかないからだ。高音さえ、こっちの頼みどおりに、妹役を引きうけて店へ来てくれれば、何もすき好んで、この箸にも棒にもかからないお駒などを家《うち》へひき入れることはなかったのである。そう思うと磯五は、高音のお高が憎らしかった。
いかにいそいでいたとはいえ、どうしてあんなお駒などを妹に仕立てる気になったのであろう。お駒ちゃんは柄や色あいの考えなぞすこしもないのだ。まるっきり商売のあたまがないのだ。お駒ちゃんの持っているものは、悪口の舌だけで、それで家じゅうのものを追い使っている。見たところも、美しいはうつくしいが、何といっても下品で、とても山の手のいい客とは応対さえさせられないのである。
そんなことを考えると、磯五は自分を蹴とばしたくなった。が、磯五は、あくまで磯屋の黒幕になっていて、外部《そと》の人と接触したくなかったので、どうしても、お駒ちゃんのような妹役がひとり必要だったのである。それは、おせい様をだますためばかりではなく、店の奉公人に対しても、そのほうがにらみがきくと、磯五は考えていた。
染め物の色のことから、お駒ちゃんとあらそいになったのだった。磯五は、お駒ちゃんの膝からたたみのうえにひろがっている反物を、つま先で蹴りけり、いった。
「気をつけなくちゃあいけねえじゃねえか。妹とか何とかいわれて、図に乗るばかりが能じゃあねえんだ」
たちまち、お駒ちゃんの顔に、朱のいろがのぼった。
「何をいってるんだい。気をつけろだって。お前さんこそ、気をつけたがいいや。何だい、面白くもない。妹でもないものを妹だなんてつれまわして、あの四十島田をたらしこんでさ、いっしょになる気もないくせに、いっしょになるなるってお金をしぼっているのは、どこの誰だったっけね。あたしがこんなことをする気になったのは、お前さんとの約束があったからだよ」
お駒ちゃんの声は、だんだん大きくなるのだ。
「さあ、あの約束はどうしたんだい。それを聞こうじゃないか」
磯五は、美しい眉をしかめて、お駒ちゃんをみつめた。
「そんなことをここでいい出すものじゃない」
「いい出すのじゃないって」お駒ちゃんは、泣き声になってきた。「あたしが黙っていれば、お前さんはいつまでたっても知らん顔の半兵衛じゃないか。いやだよ。誰がそうそうおあずけを食わされているもんか」
そとに気をかねて、障子のほうを見た磯五の顔には、その美貌《びぼう》のかわりに、みにくい表情があった。それは、異様にかがやく眼と、剛情に突きでた顎だけであった。
「忘れちゃいねえ。が、ここでそんなことをいわなくてもいいだろうというんだよ。おれもいそがしいからだだ。あんまりせっついてくれるな」
「おや、お前のような人でも、忙しいということがあるのかねえ。はい。さぞかしお忙しゅうございましょうとも。笑わせるよ。おおかた、後家さんにうまいこといってお金をしぼるのに忙しいんだろうよ」
五
手をふりあげた磯五だ。
「何をいやあがる! さ、もう勘弁ならねえから出てうせろ。出て行け、この宿なしの牝猫《めすねこ》――」
お駒ちゃんも、すっかり地のお駒ちゃんにかえっていた。
「出てゆけだって。これあ面白い。出て行きましょうとも。ここを出たら、その足で、あたしゃ拝領町屋へ駈けこんで、あのおせい様とかいう色きちがいに、何からなにまでほんとのことをぶちまけてやるんだ。あたしがお前さんの妹かどうか、なんにも知らないものに、こうやっていいお着々《べべ》をきせて、何だって遊ばせておくのか、みんなあなた様をおだまし申そう磯屋のこんたんでございます、とね。考えてごらんよ。どんなことになるか。
何だって? 宿なしのめす猫? へん、お前さんは何だい、立派な大あきんどでいらっしゃいますよ。日本橋の老舗磯屋の旦那でいらっしゃいますよ。うそつき! 詐欺師! 女たらし! ぶつならお打ち。強い人に弱い者は、弱いものにかぎって、強いんだってね」
お駒ちゃんが、そんなややこしいたんか[#「たんか」に傍点]を切って、磯五のほうへからだをにじり寄らせてくるものだから、磯五が困って、ふりかぶった拳《こぶし》を持ちあつ
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