にうごかす女たちのにぎやかな笑い声が、朝までつづくこともめずらしくなかった。
いまも四、五人の若い女が、座敷に仕立てものをひろげて裁ったり縫ったりしているのが、まえを通りかかった磯五に見えた。女たちは、主人を見かけると、いっせいに仕事をよして、手を突いて頭をさげた。磯五は、そのなかに、お針がしらのお市《いち》がいるのを知っていた。
お市は、町内の鳶《とび》の者の女房で、茶屋女あがりということであったが、それにしては、針が持てるのであった。磯屋のお針頭として、どんな品物を出されても、立派にこなしてゆけるのであった。お市は、ちょいと渋皮のむけた、せいの高い、しじゅうにこにことほほえんでいる女であった。態度《ものごし》にどこかなまめいたところがあって、芸事の師匠といったような女柄であった。
磯五は、このお市が煙《けむ》たくてしようがなかった。それは、いつかお市が、このお針部屋にひとりでいるとき、磯五が意地のきたないことをしようとして、上手《うわて》に起《た》たれてしまったからばかりではなかった。お駒ちゃんを妹としておもて看板に上げていることを、このお市だけは、からくりの底まで見すかしているように、磯五には思えた。
それも、そういうことを口に出したのでも、けぶりに見せたのでもないのだが、どうも磯五は、お市が邪魔になってきていた。このあいだからひまを出そうと考えていた。事実きょうは、お市の代わりにお針頭になる、おしんという女が、人の仲介《なかだち》で目見得にくることになっている。
磯五は、それを思い出して、悶着《もんちゃく》のないようにこの出し入れをしなければならないと思った。新しいおしんという女は、手腕《うで》も達者だし、すこしは人も使えて、人間もいいというのである。そのほうを確かめてから、機をみて、お市に暇をくれることにしよう。それまでは、何もいわないほうがいい。町内のものではあるし、それに、いつかのことで弱点を握られていもする。
そうでなくても、やむを得ない場合のほか、女性を敵にまわさないように気をつけるのが、磯屋五兵衛のモットウであった。ともかく、こんにちの彼をして、この大店のあるじたらしめているゆえんのものは、この生活信条に負うところ少なくないのだった。
磯五は、だまって、そのお針部屋の前を通り過ぎて、奥庭から居間へ上がろうとしていた。
樹のかげに、女の着物がうごいたので、磯五は、足をとめた。それは、多勢いる小間使いのひとりで、見なれない若い女であった。若い女も、そうして近いところで磯五を見るのは初めてであったが、これが旦那様であろうと直感して、固くなって、そこへ出てきた。耳たぶを真っ赤にしている、うつくしい娘であった。磯五は、その顔をのぞくようにして、荒いことばを使った。
「こんなところで何をしているのだ」
「はい」娘は、おどおどした。「笹《ささ》をとってくるようにとお咲さんにいいつけられまして――」
「笹を? 笹は何にするのだ」
「はい。なにやらお煮物の下に敷くのだそうでございます」
「そんなら、笹は裏にある。こんなところへ来てはいけない。ここは、おもての者以外きてはならぬのだ」
「はい。昨日上がりましたばかりで、まだちっとも勝手が知れないものでございますから――」
「よろしい。行きなさい」
娘がおじぎをして去りかけると、ぱっちりした磯五の眼に、露骨な興味のいろがうかんだ。その視線は、逃げるように行く娘の足どりにからみついた。
「これこれ、お前は何というのかね」
庭木のむこうから、娘の白い顔が答えた。
「はい。美代《みよ》と申します」
磯五は、うなずいて歩き出した。いま、樹のあいだに消えて行ったお美代のすがたが、網膜の底にのこっていた。お美代は、やせて、肩などまだ肉の乗らない、皮膚のいろのわるい娘むすめした女であった。しかしお美代の顔だちは、めずらしくととのったものであった。
磯五は、女の美醜を見さだめる点では、天才であった。石や瓦《かわら》のなかから、つねに玉を発見するのであった。あのお美代は、化粧と着物によっては、立派に見られるものになると磯五は思った。何かの役に立つであろうから、そっと眼をつけていようと思った。
四
磯五が居間へはいって行くと、江戸紫というのに古代むらさきの染めを注文したお駒ちゃんが、京から届いてきたその布《きれ》をぼんやりながめて、困ったようにすわっていたので、お駒ちゃんが磯五の妹であるというでたらめは、おせい様ばかりでなく、いまでは店の者のあいだにも、いいふらされていた。
磯五が上方から帰ってこの磯五の店を買いとったとき、江戸に残しておいた妹がおちぶれているのを見つけて、助け出して店へ入れたというのである。そして、それ以来、店のことはいっさい妹のお駒ちゃ
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