話をして、いずれその時節を待つつもりでおる。
 とにかくわしは、こうしてあんたを奉公させておくに忍びんのじゃ。女子《おなご》というものは、働くために生まれたのではない――が、そう自分の思うことばかりいうても、しようがあるまい。どうです、あんたは、ちっとはわしがすきになれそうだかな」
 お高は、適当のことばをさがすのに忙しかった。が、なかなかそれが発見されなかった。心が真ッ白になったような気もちだ。龍造寺主計のむきだしな口調には、何かしら力があるのだ、思い切って、声を押し出した。
「身にあまるおことばでございますけれど、どうぞ龍造寺さま、どうぞ、そのようなことはおっしゃらずにくださいまし」
「はて、すると、このわしを好きにはなれぬといわるるのかな」
「いいえ。けっしてそういうわけではございませぬ。失礼でございますが、わたくしは、龍造寺さまが好きでございます。大好きでございます。正直に申しますと、今まで、あなた様のような男らしい方にお眼にかかったことはないような気がいたしますのでございます。でも、夫婦になるなどと、そんな――」
「そんな気はないといわるるか」
「気があるないよりも、できませんのでございます」
 龍造寺主計は、眼をみはった。
「何か、仔細《しさい》があるのかな」
「なにも仔細はございません」きっぱりいって、お高は、蒼い顔を上げた。「ただ、そのようなことは、考えてみたこともございませんもの」
「考えてみたことがなければいま考えてもらいたい。わたしは、返事があるまで、ここで待とう」
「まあ」お高は笑い出した。「そう右から左に、ごむりでございます」
「むりでもよい。一応よく思案なさい。わしは、だしぬけにいい出してあんたを驚かしたが、あんたは、わしという人間をまだよく知らんのだ。ゆっくりと勘考するがよい。はいという返辞でなくとも、先の望みさえ見せてくれれば、わしは、よろこび勇んで掛川の旅に出られる」
 お高は、はげしく首を振った。
「いいえ、龍造寺さま。あなたの奥様にさせていただくなどと、高は、身分というものを心得ておりますでございます」
「これは異なことを。忘れてはいかん。わしは、もう武士ではないのだ。このとおり、町人である」
「それでも――それでは、はっきりお断わりさせていただきます。龍造寺さま、そればっかりはお許しくださいまし」
 お高の心身を、にわかの悲しみがこめた。口や態度では示さなかったが、この龍造寺主計は、お高を愛すればこそ、若松屋惣七のために、ひいてはお高のために、ああして救いの手をさし伸べてくれたのである。また、お高というものが存在するがゆえに、こうさらりと両刀すてて、町人も町人、宿場の旅籠の亭主とまでなりさがって掛川くんだりへ行こうとしているのだ。
 お高はじぶんの知らないうちに、大きな借金を背負わされているような気がした。しかも、この借りだけは、一生かかっても弁済することはできないのだ。磯屋五兵衛の妻となっているために縛られているからばかりではない。お高のこころとからだは、すでにそれを独占する所有主があるのだ。

      二

「とにかく、考えておいてもらおう。掛川へ行っても、今度はそう長くはおらんつもりだ。どのみち、ひとまず江戸へ帰ってくる。そのとき返事を聞きましょう。いや、藪から棒にすまぬことをした。江戸では当節かような談判ははやらぬかもしれぬが、わしは、いままで一介の旅浪人であった。これから諸人を見習うて、もそっとおだやかに切り出すといたそう」
 龍造寺主計はそういって、濶達《かったつ》に哄笑《こうしょう》した。龍造寺主計の熱心な顔、黒味のふかい正直な瞳《め》が、お高の胸を苦痛にあえがせた。
 このお方は、何もご存じないのだ。そして、自分はいま、なにごともいうことはできない。いったいどうして、このようなことになったのであろう? できない相談に望みをかけていられるのは、あまりに残酷である。
 この立派な男性に、単なる厚意以上の何ものもあたえられないとは、そうでなくても、このごろのじぶんは、つづく悩みに打ちのめされているのに、と、お高が、龍造寺主計のために襦袢を縫う針の手をとめて、考えこんでいると、龍造寺主計の声は、なにごともなかったかのごとく、子供のように他意ないのだ。
「わしといっしょになると、旅に出なければならんと思うて、それで二の足を踏むのかもしれんが、さようなことはないぞ。旅は、どこへ参っても同じことじゃ。どこまで行ってもきりがないのだ。そのどこまで行ったとておなじことであるという一事を知るために、旅をするようなものである。
 人間は、この一生の旅で、たくさんだ。何も、砂ほこりにまみれ、暑さ寒さとたたかい、風にさらされて歩み、星をながめて眠ることはないのじゃ。さながらおのが骨から肉を引き
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